カリブ海の真珠といわれるキューバは、フロリダの南約145kmに横たわる東西に延びる細長い島。全長は1250km、最大幅も191kmあり、面積は日本の本州の半分にあたる11万1000km
2。本島のほか1600あまりの島や岩礁からなる、カリブ海最大の島だ。また、北東にバハマ諸島、東にエスパニョーラ島のハイチ、南にケイマン諸島やジャマイカ、西にユカタン半島と、主要な島に周りを囲まれている。
上空から見たキューバは、美しい海岸線に縁取られ、平らな部分はサトウキビ畑やオレンジの畑に埋め尽くされている。島の4分の1は山岳地帯となっていて、最高地点は南部のシエラ・マエストラ山脈のトゥルキノ山。標高は1980mもある。山腹は豊かなマホガニーの林に包まれ、山麓からは銅や鉄が海岸では石油が産出されるなど鉱物資源も豊富だ。
カストロやチェ・ゲバラの率いる革命軍がバチスタ政権を打倒した1959年の革命戦争から50年、キューバは社会主義国としての道を歩んできた。ソ連邦崩壊とアメリカの経済制裁により一時はどん底ともいえる状態だったが、ドル獲得のために力を注いできた観光産業が実を結び、現在はカナダやヨーロッパ諸国からの観光客で町は活気を取り戻している。また、レストランやバー、エンターテインメントも充実し、観光している分には、物不足を感じることもない。魅力はまだまだ手つかずの美しい海や自然、スペイン・コロニアル時代そのままの町、アメリカングラフィティを彷彿とさせる風景など。他のラテンアメリカ諸国に比べて治安もよく、明るく陽気な人々との触れ合いも楽しい。
〔 写真:海を見守るプンタ要塞〕
キューバの概要
| 国名 |
キューバ
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| 正式国名 |
キューバ共和国 Republica de Cuba
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| 面積 |
11万1000km2(日本の本州の約2分の1)
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| 人口 |
1124万人(2007年国家統計局)ハバナ市に300万人が住む首都集中型
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| 首都 |
ラ・アバーナ(ハバナ)La Habana
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| 元首 |
ラウル・カストロ・ルス国家評議会議長
Raul Castro Ruz
革命後キューバの代表を務めてきたフィデル・カストロ・ルス前議長に代わり、2008年2月24日に選出された。
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| 政体 |
共和制(社会主義)
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| 民族構成 |
ヨーロッパ系25%、混血50%、アフリカ系25%(推定)。世界のなかでも人種差別のない国として知られている。
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| 宗教 |
カトリックとアフリカ宗教が中心。無宗教の人も多い。
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| 祝日・祭日 |
祝日には博物館やオフィスなど、すべて閉まる。祝日のほかに、10月8日のエルネスト・チェ・ゲバラ司令官死去の日、12月2日の革命軍の日(グランマ号が上陸した日)などが公式記念日。
1月1日 革命成就記念日
5月1日 メーデー
7月26日 革命記念日
10月10日 第1次独立戦争開始記念日
12月25日 クリスマス
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| 歴史 |
1492年10月27日、コロンブスは第1次航海時にキューバに到達した。当時島には先住民のインディヘナがいたが、スペインの植民地化が進むとともに滅亡の道をたどっていった。スペイン人によるキューバの植民地化は同時に砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げることとなる。
1511年、ディエゴ・ベラスケスがハバナをはじめ、いくつかの町を建設。16世紀後半から17世紀にかけては、フランス、イギリス、オランダなどの海賊や軍が数回にわたってキューバを攻撃。スペイン側はモロ要塞、プンタ要塞を建て、 よりいっそうの防御を固める。しかし、1655年にイギリスがジャマイカを征服。その後1762年8月13日、2カ月の戦いのあとハバナが落ちてキューバはついにイギリス領となる。何とかキューバを取り戻したいスペインは、その後1年も経たない翌年7月6日、フロリダとの引き換えにハバナを再びスペイン領とする。以後、米西戦争までスペイン領となる。
19世紀初め、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、キューバは砂糖に加えて葉巻の通商でも富を得るようになり、キューバ国内では次第に独立の気運が高まってくる。1868年10月10日、第1次独立戦争勃発。1895~98年にかけてはホセ・マルティを中心として第2次独立戦争が起こる。混乱のなか1898年2月に米西戦争が勃発。米側の勝利の結果、1898年12月10日、400年にわたるスペインの支配下からキューバは独立、アメリカの軍政下に入る。
1902年5月20日キューバ共和国成立。1920年の第1次世界大戦はキューバの砂糖産業を再び盛り上げ、当時のハバナはアメリカ人から「カリブ海のモンテカルロ」と呼ばれ憧れの町だった。1952年軍事クーデターによりバチスタ政権が樹立。翌53年7月26日、フィデル・カストロは150名の同志とともに、バチスタ政権を倒すためにサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営襲撃で蜂起する。しかし、カストロは捕らえられ「歴史は私に無罪を宣告するであろう」と有名な自己弁論を行った。その後恩赦で出獄しメキシコに渡った。1956年12月カストロは再びチェ・ゲバラなどの同志とヨット「グランマ号」に乗りキューバ上陸を図るが事前に発覚。山中に逃げ込みゲリラ戦を展開しながら勢力を拡大し、1959年1月1日未明、バチスタはドミニカ共和国へ亡命。ここに革命軍が勝利を果たす。
カストロ新政権は政治の民主化を唱えるとともに、医療の無料化、教育の無償化、公共施設の是正、土地の国有化、企業の国営化などをすすめ、社会主義国として多くの問題に直面しながらも、独自のスタイルを守り続けてきた。しかし、ソ連崩壊後は孤立した状態となり、アメリカの経済封鎖は極度な物不足へとキューバ国民を陥れた。対策としてキューバ政府は、外貨獲得の手段として観光業や輸出に力を注ぎ、それが大きく実りつつある。2004年にキューバと日本は外交関係樹立75周年を迎えた。
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