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 バックパッカーをして良かったと思えたトルコ
原口 典子 徳島県立看護学院 看護学科
渡航先・滞在日数 トルコ1ヶ月(イスタンブール・アンカラ・カイセリ・ネバシェヒル・ウルギュップ・ギョレメ・イズミール・アバノス・カッパドイア・パムッカレ・エフェス・

ツアーではなく、一人で旅をしてみたいと思ったのは25歳の時だった。アタチュルク国際空港に着いて地下鉄でイスタンブールへ行こうと思った。いざ乗り場に着くとどれに乗って良いのやら切符はいくらなのか分からず急に心細くなった。「どこへ行くんですか?」片言の日本語が聞こえた。声をかけてくる人はみんな悪い人と思え、お金が目当てだ。さんざん聞いてきた言葉だ。用心するに超したことはない。だが警戒心ばかりでは人とふれあうことは出来ない。私は自分の直感を信じ旅をしようと思った。言葉は違えど同じ人間、話そうとさえすれば通じる。聞こうとすれば聞こえる。列車は満員で私の周りの男の人が1人2人・・手を胸まで上げていた。後で分かったことだが痴漢に間違えられない為だそうだ。イスタンブールでブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿、地下宮殿、ガダラ橋、グランドバザール、歩けるまで歩いた。ホテル代節約も兼ね長距離移動は深夜初のバスに乗った。6回ぐらい利用したがバス会社が同じでもサービスが違うかった。運転の荒い運転手もいてカーチェイスになった時もあった。ついいつもの癖で靴を脱いでしまって怒られた。カッパドキアで日本人の女の子に出会った。来月トルコの人と結婚するのだと言う。21歳。泊めてもらうことにした。旦那さんは観光客に絨毯を売っていて日本語はぺらぺらだった。旦那さんのお母さんにトルコ料理をご馳走になった。世界の三大料理だけありレストランや食堂より遙かにおいしかった。主食はパンでおかずにバターライスが出てきた時にはビックリした。ももやぶどうの種や皮は真似してそのまま食べた。晩ご飯が終わると毎日のように親戚の人、近所の人が集まる。チャイに砂糖を3杯は入れる。ポテチやクッキーを食べながらおしゃべりを楽しんでいる光景を見ると日本も昔はこうだったんだろうなと思った。トルコの人の体格が良い原因はきっとこれだろう。結果私も太って帰国した。ハマムに行った。混浴でビックリしたが幸い!?日本人の男の人がいなかったので気にせずハマムを楽しんだ。混浴はカッパドキアのハマムだけみたいだった。首都アンカラに着いた頃には紙を使わずしてトイレができるようになっていた。慣れると結構気持ち良い。アンカラで晩ご飯をご馳走になっている時シーチキンの缶詰を出してくれた。「これ日本にある?」「はい」プロセスチーズを指し「これは?」「あります」と答えて複雑な気分になった。日本は本当に裕福で幸せな国だ。何でもある。日本に産まれたからこそ今こうして旅が出来ているのだ。感謝しなければならない。イズミルで口にヘルペスができた。薬局で軟膏を買ったのだが高かった。物価は3分の1なのに薬は倍。喉が痛かった時、ハーブティーにレモン。腹痛にはソーダー水、下痢にはトルココーヒー。トルコではこうすると聞いた。納得。「ジャポン!ジャポン!」と声を良くかけられた。写真も撮った。親日の国だけあって日本に詳しく日本が好きな人は多かった。トルコのTVのチャンネルが100以上あることには驚いた。日本、アメリカ・・世界の番組が見える。郵政民営化の選挙をトルコでリアルタイムで見ることができたのだ。石油国と近いのにガソリンが1g300円ぐらいするのにも驚いた。車も走ればOK!車なんて高級なのだ。旅は自分次第で何とでもなる。ここで得たものは何にも変えることのできない宝物となった。一期一会はバカにできない。その出会いで自分が変わることができるのだ。これは旅をした人にしか分からないと思う。





ブルーモスクでの割礼式(トルコでは幼年期おちんちんの先を切る)




カッパドキアのバザール(現地の人が利用するバザール)




トルコの家庭料理




アタチュルクのお祭り




アンカラで良く見かけたオレンジジュース屋さん(100円でめっちゃおいしい)