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ハリーズ・バーとは?

ヘミングウェイが愛したハリーズ・バーとはどのような場所でしょうか。多くの有名人が訪れ、有名な料理を創作したハリーズ・バーの伝説を解き明かします。

地図

伝説のバーといわれる理由 その1:数多くの有名人が愛した場所

ハリーズ・バーは1931年5月13日に開店。以来、ヘミングウェイをはじめとした多くの芸術家やオーソン・ウェルズとパオーラ・モーリ夫妻ら俳優、デザイナーなどさまざまな有名人、名だたる大富豪たち、そしてエリザベス女王までが訪れたという、まさに伝説のレストランバーなのです。

サービスの精神は何よりも愛

サービスの精神は何よりも愛

1931年創業当時の店内

1931年創業当時の店内
© Harry's Bar

伝説のバーといわれる理由 その1:ベリーニとカルパッチョを生んだレストランバー

創業者であるジュゼッペ・チプリアーニは、王侯貴族や有名人と友好があったばかりでなく、今ではイタリア料理の定番となっているふたつのメニューを生み出しています。

ひとつは、イタリア版のお刺身ともいえる「カルパッチョ」です。生の仔牛フィレ肉を使ったこの料理は、1950年、常連客の美しい公爵夫人が厳しい食事制限中で調理された肉は食べられないことを知り、チプリアーニが即興で考案しました。当時、ヴェネツィアでルネサンス期の画家ヴィットーレ・カルパッチョの回顧展が開かれていたことからカルパッチョと命名されました。今では牛肉のみならず、さまざまな肉や魚介類などで作られたカルパッチョがありますが、チプリアーニが考案したこのスタイルが元祖、そして本家本元なのです。

そしてもうひとつは、食べ物ではなくお酒です。白桃のピューレとイタリアのスパークリングワイン、プロセッコを加えた「ベリーニ」というピンク色のカクテル。さわやかな口当たりのプロセッコにピーチの上品な甘さが加わったこのカクテルは、ヴェネツィア出身の画家ジョヴァンニ・ベリーニにちなんでネーミングされました。

25歳で父ジュゼッペの跡を継いだアリーゴ氏。著書『ハリーズ・バー』は安西水丸氏の翻訳でにじゅうにから発行されている

25歳で父ジュゼッペの跡を継いだアリーゴ氏。著書『ハリーズ・バー』は安西水丸氏の翻訳でにじゅうにから発行されている

ハリーズバーのメニュー。カバーはティファニーのブルーよりやや黄色が強いパステルカラーにロゴマークがアクセント

ハリーズバーのメニュー。カバーはティファニーのブルーよりやや黄色が強いパステルカラーにロゴマークがアクセント

伝説のバーといわれる理由 その3:ヴェネツィアのことが知りたければハリーズ・バーへ行け

1931年5月13日に店がオープンしてから数週間後、ひとりの客が『ロンドン・ディリー・メール』という新聞を携えてチプリアーニの元にやって来ました。そこには、次のように書かれていたのです。

「ちょうどヴェネツィアにいる読者で、町のことが知りたい人は旅行代理店や観光案内所はよしたほうがいい。ハリーズ・バーへ行くのが一番だ。ジョゼッペ・チプリアーニが至れり尽くせりのもてなしをしてくれる。チプリアーニに会えばすぐわかるだろう。ヴェネツィアの町が親しげに手を広げ、あなたを歓迎してくれているのが」

2004年2月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部