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スーツケース進化論

海外旅行といえばスーツケース。現在はソフトキャリーバッグを使っている、という人も、一度はスーツケースを携えて海外へ旅立った経験があるのではないだろうか。スーツケースが日本で一般的になったのはいつだっただろう。歴史を探り、日本における進化の過程をたどってみた。

1960's

  • 1964年 海外旅行自由化
  • 1965年 第1次海外旅行ブーム

■それは海外旅行自由化とともに始まった

日本の海外旅行自由化は、1964年(昭和39年)4月。同年10月に東海道新幹線が開通、東京オリンピックが開催された記念すべき年に日本の海外旅行時代がスタートしたのだ。外貨の持ち出し年間一人あたりUS$500(当時はUS$1=360円の固定相場制)と条件付きではあったが、5月には、旅行会社5社が協同で企画したハワイツアーが催行された。

サムソナイト・デボネアの発売にあたって制作されたカタログ

サムソナイト・デボネアの発売にあたって制作されたカタログ


同年9月、日本のエース株式会社が米国サムソナイト社と技術提携が正式に成立。遡ること4年、1960年にエースはサムソナイト社(当時はシュワイダーブラザース社)と日本総代理店契約を結んでおり、「ストリームライト・ホライゾン・シルエット」というスーツケースの輸入を始めていた。しかし、インポートのスーツケースは非常に高価であり、日本の所得水準に見合った商品ではなかった。
技術提携が成立したのを機に、エースは小田原に生産工場を建設し、サムソナイト製品の生産を本格的に開始した。

米国サムソナイトのストリームライト・ホライゾン・シルエット

米国サムソナイトのストリームライト・ホライゾン・シルエット

■日本人の収入に合ったスーツケースが登場

当初の目標は、「日本人の所得で購入可能な1万円以下のスーツケース」を実現することにあった。試作が重ねられ、1967年3月「デボネア」という商品名で全国一斉発売される。1万円を切る価格で販売されたデボネアは、好調な売れ行きを見せる。当時は、海外旅行だけでなく国内の新婚旅行も対象にしたブライダル・マーケットでもデボネアは人気を呼んだ。

エースの国産サムソナイト第1号 「デボネア」('67)

エースの国産サムソナイト
第1号 「デボネア」('67)

■日本人の旅行を快適にしたい

現在、ハードなスーツケースだけでなく、ソフトバッグもそのほとんどがキャスター付きだ。旅行バッグ=キャスター付きというのはいまや常識でもある。では、いつ頃、キャスター付きバッグは市場に登場したのだろうか。

初のキャスター付きエースのサムソナイト、「シルエット」('72)。ヨコ型走行だった

初のキャスター付きエースのサムソナイト、「シルエット」('72)。ヨコ型走行だった

1960年、日本に輸入されたアメリカ製のスーツケースにはもちろんキャスターは付いていなかった。1967年に登場したデボネアも誕生した当初はキャスターなしのデザインだった。この国産スーツケースは好評を博したが、さまざまなリクエストがユーザーから寄せられた。それは日本という国の旅行事情から出た要望であった。

タテ型ヨコ開きになった 「ワードローブ-3」('78)。 現在のタテ型 スーツケースのベンチマークとなった

タテ型ヨコ開きになった 「ワードローブ-3」('78)。 現在のタテ型 スーツケースのベンチマークとなった


欧米と異なる移動の文化や体格の違いから、「持ち運びがラクなスーツケースを作ってほしい」という要望がメーカーへ寄せられたのだ。旅行中に快適に運べるスーツケース、それが新製品の課題となる。

1970's

  • 1970年 ジャンボジェット機導入
  • 1971年 第2次海外旅行ブーム
  • 1972年 海外渡航者数100万人を超える
  • 1978年 成田国際空港開港

■1972年、ジャパン・オリジナルの誕生

研究が重ねられ、1972年に新登場したのがエース社におけるキャスター付きスーツケース第一号「シルエット」だ。ヨコ型のスーツケースの底部にキャスターが4輪セットされ、快適に走行するように工夫されている。まさしく日本仕様のスーツケース、「ジャパン・オリジナル」の誕生となった。スーツケースが現在のタテ型走行スタイルになるのはこの3年後、1975年のことだった。このモデルは珍しいタテ開きであったが、1978年にはヨコ開きとなり、現在のタテ型走行ヨコ開きの基準となった。

■拡大する市場

海外旅行が自由化された1964年には127,749人だった海外渡航者が100万人を超えたのが1972年。この年、前年から43万人以上の伸びを見せ、1,392,045人となった。旅行者の急増に伴い、スーツケースの市場も急速に拡大していく。生産体制を強化するため、エースは北海道赤平市に新工場を設立、1976年に第三期増築工事を終える。

1980's

  • 1986年 円高進行
  • 1987年 第3次海外旅行ブーム

1990's

  • 1994年 関西国際空港開港
  • 1995年 史上最高の円高

■個性化とピギータイプの登場

1980年代に入るとハードケースの個性化が進み、デザインやカラーリングも豊富になった。90年代になるとキャリーハンドルの付いたピギータイプのケースが登場。1993年には、前輪に自在キャスターを配した4輪ケースシャトラーがデビューし、より走行性を高めた。さらにこの2年後には4輪自在キャスターモデルも登場。高い技術力と開発力でリニューアルが重ねられてきたジャパン・オリジナルのスーツケースは、世界でもトップクラスの機能美を誇っている。

ソフトラゲージのカートタイプスタイルをハードケースに 採用。「オイスターハードピギーケース」

ソフトラゲージのカートタイプスタイルをハードケースに 採用。「オイスターハードピギーケース」('94)

2000's

  • 2005年 中部国際空港「セントレア」開港

■軽くて丈夫なバッグづくりへの挑戦

「軽量かつ堅牢」という命題を解決できれば、理想のスーツケースができる。エース社内でもこの命題を解くために多くの手段を講じてきた。

幸い、サムソナイトでは軽くて強いマグネシウム合金フレームを古くから採用していた。エース社も当然、日本での生産第一号モデルからこれを採用した。これが他社に対する大きなアドバンテージとなったわけだが、それにとどまらずボディ素材の研究開発も進められ、同社独自の配合でつくられたABS樹脂やポリカーボネートなどが生まれた。

軽くて丈夫、しかもスタイリッシュ。サムソナイトにかわってエースから登場したプロテカ。写真は「ジウジアーロ・マニフィコ」('05)

軽くて丈夫、しかもスタイリッシュ。サムソナイトにかわってエースから登場したプロテカ。写真は「ジウジアーロ・マニフィコ」('05)

2005年3月号