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ザ・ガン号―大陸縦断鉄道完成までの歴史

灼熱の太陽と乾ききった大地……人の行く手を阻むようなオーストラリア内陸部への鉄道敷設は、人々の夢であった。工事開始から80年近い年月の末完成した大陸縦断鉄道の歴史を、ここで簡単にふり返ってみよう。

ザ・ガン号名前の由来

今から160年以上も昔、英国人入植以後沿岸部の探査がほぼ終わり、人々の目は内陸へ向けられ始めていた。しかしそこで探検家たちを待ち受けていたのは、赤土の砂漠化した広漠とした大地だった。こうした内陸探査のためオーストラリアにはアフガニスタンからラクダが輸入され、一緒にラクダの使い手としてアフガニスタン人もやって来た。

内陸探査に使われたラクダの隊列にちなんで「ザ・ガン」という名前が付けられた((C)Great Southern Railway)

内陸探査に使われたラクダの隊列にちなんで「ザ・ガン」という名前が付けられた((C)Great Southern Railway)


そして1860年代以降、探検家たちと共にアフガニスタン人ラクダ使いが率いるラクダの隊列が、少しずつオーストラリア中央部の姿を明らかにしていったのだ(先住民アボリジナル・オーストラリアンがすでに住んでいたという事実は、ここでは割愛している)大陸中央部探査の立て役者となったラクダとアフガニスタン人ラクダ使いにちなみ、大陸縦断列車は当初「アフガン・エキスプレスAfghan Express」と名付けられ、後に「アフガン」の「ガン」のみを取り「ザ・ガン号」となったのだ。

※ちなみにオーストラリア中央部ではラクダが野生化し、現在推定約50万頭生息しているといわれている。

大陸中央部への足として敷設

1929年8月4日、大陸中央部の様子を明らかにした探検家ジョン・マクドナル・スチュワートの探査ルートに沿って敷設された線路を、アデレードからの1番列車アフガン・エクスプレスが走り始めた。およそ100人の乗客と数多くの物資を積んで、当時スチュワートと名付けられた僻地(現アリススプリングス)への運行だった。狭軌の線路を蒸気機関車が約2日かけて走りきったのだ。そして人々の移動はもちろん、内陸への物資輸送状況は、アフガン・エクスプレスの運行により大きく改善された。

しかし当時のルートは現在よりも大きく東側を通っていたため、気象状況悪化による山火事(ブッシュファイヤー)、さらに洪水により線路へのダメージがひじょうに大きかった。また枕木もシロアリによって深刻な被害を受けていた。

新ルート完成

線路のメンテナンスに膨大な費用がかかる当時のルートでは、運行も思うに任せない状況だった。そこで新ルートの開発が始まる。新ルート選定には比較的安定した天候が優先され、ナラボー平原の入口タルクーラから北へ進路を取ることになる。さらにシロアリ被害を防ぐコンクリート製枕木の採用、また軌道を狭軌からオーストラリアでもスタンダードとなりつつあった標準軌に変えることによる大型車両投入や、他州との運行接続メリットなどが盛り込まれた。1975年に始まった新ルートの工事は1980年に完成。これによりアデレード〜アリススプリングスを結ぶ豪華寝台列車ザ・ガン号の運行が開始された。

大陸縦断鉄道へ

大陸中央部への列車として知られていたザ・ガン号の、大陸縦断計画はかなり前からあったといわれる。しかし、大陸北部雨期の豪雨、線路敷設予算などさまざまな問題があり、鉄道ファンの間では「いつかかなう夢」として論じられる存在だった。

内陸を駆け抜け大陸を縦断するザ・ガン号((C)Great Southern Railway)

内陸を駆け抜け大陸を縦断するザ・ガン号((C)Great Southern Railway)


それが現実となったのが2004年2月1日のこと。実に1kmを超える長さの43両編成ザ・ガン号がアデレードを出発し、2月3日夕方ダーウィン駅へと到着した。ついに世界で唯一の大陸「縦断」列車の運行が実現したのだ。

2005年4月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部