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ボルトガルの世界遺産バラエティ豊かなポルトガルの世界遺産

ポルトガルの世界遺産は現在13ヵ所が登録されている。今回訪れたのはそのうちの5ヵ所。北は世界的に有名なポートワインの産地であるドウロ川上流に広がるブドウ畑から、南はポルトガルの黄金期を象徴するリスボンの歴史的建造物までを紹介する。

【文化遺産の登録基準】

※上記をクリックすると文化遺産の登録基準に関する詳細内容がご覧になれます。文中(1)〜(6)の番号は、この特集で紹介されている各世界遺産の名前に付記された番号に対応しています

リスボンのジェロニモス修道院&ベレンの塔[1983年文化遺産(3)(6)]

マヌエル様式の粋を凝らした壮麗な修道院

マヌエル様式の粋を凝らした壮麗な修道院

天井を高く支える柱は椰子の木を模して造られ、優雅な印象を与えている

天井を高く支える柱は椰子の木を模して造られ、優雅な印象を与えている

1755年のリスボンの大地震にも耐え、ベレン地区に建つジェロニモス修道院とベレンの塔は、大航海時代の繁栄とキリスト教世界の栄光を象徴する建造物である。

大航海時代の繁栄と栄光を伝える
ジェロニモス修道院

マヌエル1世は祖先であるエンリケ航海王子の偉業を称えて、またヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して、ジェロニモス修道院の建設を命じた。着工は1502年、場所はエンリケ航海王子が船乗りのために建てた礼拝堂の跡地が選ばれた。ジェロニモス修道院は、ベレンの塔と並んでポルトガル独特のマヌエル様式を代表する建造物である。バターリャの修道院にあった王家の霊廟は移され、国王マヌエル1世、王妃マリアがマヌエル様式の装飾を施された石棺の中で眠っている。また、ヴァスコ・ダ・ガマ、詩人カモンイス、作家フェルナンド・ペソアの棺も置かれている。

緻密な彫刻で飾られた
石灰岩の白いアーチ

修道院の中庭を囲む回廊の建築にあたったのはフランスから招聘された建築家ボイタックであり、彼の死後にはスペイン人のジョアン・デ・カスティーリョが引き継ぎ、2階部分を手がけた。彼らが築いた55メートル四方の優美な回廊はマヌエル様式の最高傑作といわれる。

近年行われた改修工事で、往時の白さを取り戻した修道院。驟雨の後、日に映えて輝く繊細優美なアーチがいにしえの大航海時代に誘ってくれた。

バスコ・ダ・ガマの棺

バスコ・ダ・ガマの棺

バスコ・ダ・ガマの棺の近くで見つけた逆さまの人の顔(探してみてください)

バスコ・ダ・ガマの棺の近くで見つけた逆さまの人の顔(探してみてください)


教会入口にあるマヌエル1世の像

教会入口にあるマヌエル1世の像

建築家ボイタックが手がけた回廊

建築家ボイタックが手がけた回廊

優美なデザインの三心アーチ越しに緑の中庭の景色が見える

優美なデザインの三心アーチ越しに緑の中庭の景色が見える

“テージョ川の貴婦人”と呼ばれる要塞 ベレンの塔

テージョ川に面して建つベレンの塔。1階は潮の干満を利用した水牢

テージョ川に面して建つベレンの塔。1階は潮の干満を利用した水牢

ベレンの塔はもとは4層の灯台として造られたと推測されている。その後テージョ川の河口を守るための要塞として建設された。石灰岩の切石によって築かれた塔は、高さ35m。マヌエル様式が駆使され、要塞としての物々しさは微塵も感じられない。その優雅なる佇まいは、司馬遼太郎をして「テージョの公女」といわしめた。まさに貴婦人がドレスの裾を広げている姿のようだ。

大航海時代の象徴”発見のモニュメント”

ジェロニモス修道院とベレンの塔があるベレン地区で、もうひとつ忘れてはならないのが発見のモニュメント。1960年に、エンリケ航海王子の500回忌を記念して製作されたもので、レオポルド・デ・アルメイダの作品である。大航海時代に新天地に向けて乗り出したカラベル船の船首をモチーフにしている。エンリケ航海王子を先頭に天文学者、航海士、地理学者、詩人、宣教師などが後に続く。モニュメント前の広場には、色の異なる大理石で描かれた世界地図があり、それぞれの国の横にポルトガル人によって「発見された」年号が記入されている。日本はどこかと探してみると、そこには1541年と刻まれていた。

輝かしい大航海時代の幕開けと、その功労者たちの雄壮な姿。後ろから2番目には、日本人になじみの、フランシスコ・ザビエルの像がある。

輝かしい大航海時代の幕開けと、その功労者たちの雄壮な姿。後ろから2番目には、日本人になじみの、フランシスコ・ザビエルの像がある。

日本の地図の横には、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた1543年ではなく、1541年と記されている。これはポルトガル船が豊後に漂着した年だ。

日本の地図の横には、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた1543年ではなく、1541年と記されている。これはポルトガル船が豊後に漂着した年だ。


2007年9月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部