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ポルトガルをもっと楽しむためのキーワード・その(2)

バターリャ修道院 参事会室のステンドグラス

バターリャ修道院 参事会室のステンドグラス

ジョアン1世(1357-1433)

海洋帝国としての発展の礎を築いたアビス朝の創始者。1357年ペドロ1世とガリシア貴族の娘テレザ・ローレンスとの間に、庶子として生まれる。'85年コインブラで開催された身分制議会で国王と選定され、アビス朝が開かれた。同年の8月アルジュバロータの戦いで数的に圧倒するカスティーリャ軍をうち破り、ポルトガル王国の独立を確保する。イギリスのランカスター公の娘フィリパとの間に6人の子どもをもうけるが、エンリケ航海王子もそのひとり。1412年に長子ドゥアルテに国政を譲った後、1415年の北アフリカの商業都市セウタの征服を皮切りに、西アフリカ、大西洋諸国へと海外進出が進められていく。
ジョアン1世が眠るバターリャの修道院は、アルジュバロータの戦いの勝利に対して聖母マリアに感謝を捧げるために建立されたもの。

ジョアン1世

ジョアン1世

エンリケ航海王子(1394年-1460)

ジョアン1世の第5子(三男)としてポルトに生まれる。ポルトガルの海上発展の基礎を築いた功績から航海王子の称号で呼ばれる。ポルトガルの海外進出の出発点となったセウタ攻略戦争に父ジョアン1世とともに参加し、1415年セウタ攻略を完了する。1420年には膨大な資金を保有するキリスト騎士団長に任命され、人材および収入の保証が得られると、太平洋進出や新航路発見への情熱を燃やし、航海者たちのパトロンとして、指導者として見守り大航海時代の幕を開いたとされる。航海王子というニックネームが付いているが、実は、新航路を発見する旅には出ていない。「航海王子、先に立たず」であり「航海しなくても後悔せず」といったスタンスか。リスボンのベレン地区にある“発見のモニュメント”は、エンリケの没後500年を記念して1960年に建てられた。

エンリケの肖像画といわれる絵

エンリケの肖像画といわれる絵

マヌエル1世(1469-1521)

アフォンソ5世の弟ドンフェルナンドの子。いとこにあたるジョアン2世の養子となり、その後即位した。インド航路発見の直前に死亡した先王の海外進出事業を押し進め、在位中にアフリカ、アジア、新大陸にまたがる一大海洋帝国を築いた。また、マヌエル1世は、海外交易による膨大な収益を財政的な基盤として絶対王政といえる中央集権化を果たしている。大航海時代の繁栄を象徴する建築様式であるマヌエル様式も彼の名に由来している。リスボンのベレン地区に建つジェロニモス修道院はマヌエル1世の命で建造されたのもである。

マヌエル1世の肖像画

マヌエル1世の肖像画

天正遣欧少年使節

天正遣欧少年使節は、イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案により、九州のキリシタン大名である豊後の大友宗麟、肥前の有馬晴信と大村純忠の名代としてローマへ派遣された使節団である。1582年(天正10年)に長崎を出帆し、マカオ、ゴアを経て、1584年8月11日にリスボンに到着。シントラにあるアルベルト・アウストリア枢機卿の王宮に招かれる。その後、マドリッド、フィレンツェを経て、1585年3月、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。教皇の崩御があり葬儀に参列、翌月の4月、グレゴリオ13世の後を継いだシクストゥス5世の戴冠式に出席。イタリアの諸都市訪問の後、1586年4月、リスボンを出発し帰路に就き、1590年7月に長崎に帰港した。使節団は活版印刷機や海図を持ち帰っている。彼らが見聞したヨーロッパのキリスト教社会の繁栄と栄光を伝えることで、キリスト教の布教に弾みが掛かるはずだったが、天正遣欧少年使節が戻る3年前(1587年7月)に豊臣秀吉からバテレン追放令が発布されていた。

所蔵:京都大学図書館

所蔵:京都大学図書館

ペソア(1888-1935)

フェルナンド・ペソアは、ポルトガルの偉大な詩人である。ペソアは本名のほかに“異名”でも数多くの作品を残している。膨大な作品は『詩集』に納められ版を重ねているが、現在高い評価を得ている彼の詩も存命中に真に理解する人はほとんどいなかったという。日本では『ポルトガルの海―フェルナンド・ペソア詩選』(彩流会刊)が発行されている。また、良質なガイドブックとして活用できる『ペソアと歩くリスボン』(翻訳:近藤 紀子、彩流会刊)がある。ペソア自身の著作で彼流のリスボン案内となっている。内容自体は時代は遡るが、現代の訳注もありペソアの生きたリスボンとの変化も読めて興味深い一冊である。

『ペソアと歩くリスボン』翻訳:近藤 紀子、彩流会刊

『ペソアと歩くリスボン』翻訳:近藤 紀子、彩流会刊

壇一雄(1912-1976)とサンタクルス

作家檀一雄は、1970年から71年にかけての約1年半をポルトガルのサンタクルスで過ごしている。サンタクルスはリスボンの北60kmに位置するトーレス・ヴェドラスから20kmほど西に行った海辺の小さな町。壇一雄の住んだ家がある通りは「ダン・カズオ先生通り」と名付けられ、海辺には彼の文学碑がある。壇一雄はサンタクルスの素晴らしさについて、以下のように書き残している。

「美しいのは落日である。落日に続く夕焼けだろう。落日を追って、断崖の上を走っては清盛もどき「返せ、返せ……」と真っ赤に染まった太陽に追いすがると、やがて燗熟した火心がブルブル振るえながら波の果てに沈んでゆく」

『火宅の人』新潮社文庫

『火宅の人』新潮社文庫

アマリア・ロドリゲス(1920-1999)

リスボン生まれ。ファドの名歌手。女優。フランス映画『過去を持つ愛情』(1955)に出演し、『暗いはしけ』を歌い、彼女の歌手としての実力とファドというジャンルの音楽の魅力を世界的に知らしめた。10代からリスボンの下町で歌い始め、映画やオペレッタにも出演し「ファディスタの中のファディスタ」といわれる。1970年の大阪万博で初来日して以来、日本での公演も多かった。生涯現役で歌い続けファドの心を伝え続けた。

アマリア・ロドリゲスのCD

アマリア・ロドリゲスのCD

2007年9月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部