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クイズ? グダンスクの歩き方 Q2〜6

○×クイズ グダンスクの歩き方 Q2〜6

2.グダンスクは、世界遺産登録候補地になったことがない?

旧市街の聖ヤン教会とモトワヴァ運河

旧市街の聖ヤン教会とモトワヴァ運河

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答え/× 「世界遺産暫定リストに掲載されているグダンスク」

グダンスクは過去2回、世界遺産登録への推薦を受けながら、推薦を辞退している。 最初は1998年で、「グダンスク:中心街、モトワヴァ運河、ヴィストゥワ河口要塞」という名称で推薦がなされた。
次は2007年、「グダンスク――自由と記憶の史跡」という名称に変えて推薦が行なわれている。
世界遺産への登録は、その遺産をもつ国の政府がユネスコに登録を推薦する、という形で行なわれるが、ICOMOS(国際記念物遺跡会議=文化遺産)またはIUCN(国際自然保護連合=自然遺産)の事前調査の結果「不登録とすることが望ましい」と評価された場合に、世界遺産委員会の裁定を待たずに辞退するケースが多いようである。

モトワヴァ運河と夕日に映える赤レンガの建物

モトワヴァ運河と夕日に映える赤レンガの建物

グダンスクの遠景。教会の塔が印象的

グダンスクの遠景。聖母マリア教会の塔が印象的

旧市街のドゥウガ通り

旧市街のドゥウガ通り

3.旧市街は、第2次世界大戦で破壊され戦後再建されたもの?

旧市庁舎の塔と旧市街の街並み

市庁舎の塔と旧市街の街並み

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答え/○ 「90%以上が破壊されたが、市民が精密に復元」

グダンスク旧市街の美しい街並みは、第2次世界大戦の際にほとんど破壊されてしまった。
戦後、街の姿を復元して後世に残そうという市民の熱意により、廃墟の街は見事に再建された。ちょうどポーランドの首都ワルシャワの旧市街のように。
今では指折りの観光地として、ヨーロッパ各地から多くの観光客が訪れている。

市庁舎に至る現在のドゥウガ通り

市庁舎に至る現在のドゥウガ通り

黄金の門に展示されている1945年当時の廃墟と化した街の写真。左側が旧市庁舎に至るドゥウガ通りの様子。右側は聖母マリア教会周辺

黄金の門に展示されている1945年当時の廃墟と化した街の写真。左側が市庁舎に至るドゥウガ通りの様子。右側は聖母マリア教会周辺

現在の聖母マリア教会周辺

ピヴナ通りから望む現在の聖母マリア教会周辺

4.グダンスク市街の「王の道」とは、黄金の門から緑の門までのこと?

囚人塔の窓から見た黄金の門

囚人塔の窓から見た黄金の門

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答え/○ 「ドゥウガ通り〜ドゥウーギ広場がメインストリート」

黄金の門から始まるドゥウガ通りは、約300メートル先でドゥウーギ広場につながる。この広場は幅約50メートル、長さ約200メートルの長方形。突き当たりは緑の門で、この門をくぐるとモトワヴァ運河へと出る。黄金の門から緑の門までの約500メートルがグダンスク市街の「王の道」で、ポーランド王の凱旋、犯罪者の処刑などが行なわれた。

囚人塔の窓から「王の道」を望む

囚人塔の窓から「王の道」を望む

「王の道」の起点、黄金の門。最上部には「平和・自由・裕福・名声・調和・正義・敬神・賢明」を表す彫刻が施されている

「王の道」の黄金の門。最上部には「平和・自由・裕福・名声・調和・正義・敬神・賢明」を表す彫刻が施されている

「王の道」の終点、緑の門。マニエリスム様式の建物で、グダンスクを訪れる王たちの宿泊施設として16世紀に建てられた

「王の道」の終点、緑の門。マニエリスム様式の建物で、グダンスクを訪れる王たちの宿泊施設として16世紀に建てられた


5.自主管理労組「連帯」のリーダーであったレフ・ワレサは、
グダンスクに住んでいる?

犠牲になった造船所労働者の記念碑

犠牲になった造船所労働者の記念碑

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答え/○ 「ワレサはグダンスクのレーニン造船所の電気技師」

レフ・ワレサ(1943年9月29日〜)は、1980年の独立自主管理労働組合「連帯」委員長。ポーランド民主化後、同共和国第二代大統領を務めたが、1995年の選挙で破れ、以後政治家としての活動はほとんどない。1983年にはノーベル平和賞を受賞。現在は、グダンスク郊外に居住。
日本との縁も浅からぬものがあり、1997年には明治大学から名誉博士号を贈られている。

「連帯」運動の舞台となったレーニン造船所(現グダンスク造船所)正門。ワレサはここで電気技師として働いていた

「連帯」運動の舞台となったレーニン造船所(現グダンスク造船所)正門。ワレサはここで電気技師として働いていた

ワレサ氏自宅の門。しっかりと閉じられており、ガードは堅い

ワレサの自宅の門。しっかりと閉じられており、ガードは堅い

造船所前にある「犠牲になった造船所労働者の記念碑」。今も訪れる人や献花が絶えない

造船所前にある「犠牲になった造船所労働者の記念碑」。今も訪れる人や献花が絶えない


6.第2次世界大戦は、グダンスクから始まった?

グダンスク郊外のヴェステルプラッテを航行する船舶

グダンスク郊外のヴェステルプラッテ付近を
航行する船舶

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答え/○ 「ヴェステルプラッテの戦い」

1939年9月1日4時45分、ドイツの戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインからの砲撃により第2次世界大戦の火蓋は切って落とされた。
同年8月の終わりには、戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインはダンツィヒ(グダンスク)を訪問し、ヴェステルプラッテの近くに停泊していた。ヒトラーはすでにポーランド侵攻を決定しており、同艦の砲撃を合図にドイツ軍は進撃を開始する手はずだったという。
砲撃は宣戦布告なしに行われ、まさに奇襲であったが、たった182名のポーランドのヴェステルプラッテ守備隊はよく持ちこたえ、ドイツに対し反撃すら行なった。9月7日、守備隊は降伏をしたが、水や薬品の枯渇がその原因であったという。

ヴェステルプラッテ防衛者の記念碑。高さは25メートル。新港側からもよく見える。大地に突き刺さる剣の柄のようだ

ヴェステルプラッテ防衛者の記念碑。高さは25メートル。新港側からもよく見える。大地に突き刺さる剣の柄のようだ

バルト海で最も美しい灯台のひとつといわれる新港のグダンスク灯台。1893年の建造で、高さ約27メートル

バルト海で最も美しい灯台のひとつといわれる新港のグダンスク灯台。1893年の建造で、高さ約27メートル

ビスオウイシチェ要塞は15世紀に造られた。堅固な要塞の好例である

ビスオウイシチェ要塞は15世紀に造られた。堅固な要塞の好例である

2008年8月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部