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アイルランドとは

日本がユーラシアの極東の島国なら、西端にあるのがアイルランドだ。同じ島国でありながら両国の民族の歴史は大きく違う。アイルランドは、ケルト人が独自の文化を形成した国だったが、この荒れた地にローマ帝国は食指を動かさなかった。伝道したキリスト教はケルト民俗と融合して豊かな文化を作っていったが、隆盛を極めたブリテンやノルマンの覇権主義や異教徒がこの地を襲った。今もなおそれらは傷跡を残すものの、20世紀末にアイルランドは平和を回復した。

アイルランドという土地 アイルランドという国家

司馬遼太郎は、「愛蘭土。その島は、イギリスの本島であるブリテン島の西に、寄り添うようにうかんでいる。肥った仔犬が、後足で立っているような形にみえる」と著書「愛蘭土紀行―街道をゆく 30」を書き始める。
この島の中には国境があり、南部はアイルランド共和国、東北部は北アイルランド呼ばれる英国・イギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)の一部に分化している。
古代、アイルランドはひとつの島国だったが、1922年に英国から自治を獲得したとき、カトリックの多い南の16州だけが独立し、プロテスタントの多い北部6州が英国に留まることとなった。1949年に英連邦からも離れ、完全独立したアイルランド共和国は、EC加盟(1973年。英国も同時だが別々に)、欧州通貨ユーロを2001年に採用する(英国は採用せず、通貨はスターリングポンド)など、独自の歩みを続ける。したがって、アイルランド共和国と北アイルランドを結ぶ道路などの国境では、それを越えると通貨や度量衡が変わる。ただし対面交通での車が左側通行というのは共通である。
なお、アルスターとは、北アイルランド6州と共和国3州の9州からなる地域をいうが、共和国3州を含まないこともある。

古代から中世のアイルランド

ケルト民族

ケルト民族:古代

中央アジアの草原から戦車、馬車でヨーロッパに渡来した一族(=ケルト人)が、ブリテン島などを経て定着。部族ごと150余の小王国が分 立、ゲール文化を作る。ケルト人を見たギリシアの歴史家は、巨躯で、筋肉質、金髪でときに染毛、激情で横暴、戦闘的だと記しているが、 自然を崇拝し精霊を仰ぐ、古来稀な文化を持っていた。


シーザー

ローマ帝国期 紀元〜1世紀ごろ

ローマ帝国の最大版図はブリテン島南部(ブリタニア)まで。同北部(いまのスコットランド地方)やアイルランドは帝国の外であった。ヒベルニア(当時の呼び名)に見るべきものなし、との斥候の報告で、さしもの征服者も興味を失う。そこで、諧謔的に言われるのが「シーザーも来なかった島」。


ゲルマン民族

民族大移動 4世紀後半

西アジアから遊牧民フン族が襲来、押されてゲルマン諸族が大移動をした。ブリテン島には、ジュート人やアングル人(北欧系)、サクソン人(大陸系)らが定住してゲール人と同化する。ブリテン島にアングロサクソン7王国を建国する。カトリックが信仰される。


聖パトリック

聖パトリック キリスト教伝道 432年

シーザーも来なかった島だがキリスト教は来た。ローマ支配下のブリテンの文官の息子パトリックは、海賊にさらわれこの島で奴隷として過 ごす。森や草原での6年間にケルトの土着宗教に触れる。囚われの身から逃れ聖職者となるが、敢えてこの島を再訪。絶対神キリストを強要す るのではなく土着信仰も認め宣教をして聖人に叙せられた。


ヴァイキング

ヴァイキング襲来 9世紀

スカンジナビアより海賊―ヴァイキングが侵略をする。ロングシップという機動力のある船を操り各地を蹂躙。略奪して帰国、また襲来という形から西ヨーロッパに越冬地を設け植民を始め、イングランドにはデーン朝を建国した。ヴァイキングもゲール人と同化していった。


ノルマン

ノルマン支配 12世紀

ノルマンディー(仏・北西部)に定住したヴァイキングはノルマン人と呼ばれた。彼らもアイルランドに進攻、ノルマン朝を建国する。やはりゲール人と同化して、カトリックを信仰する。敵対するイングランド王国、そのまた敵国スコットランド王国と複雑な力関係に揺れた時代である。


イングランドによる支配と搾取

ヘンリー8世

ヘンリー8世 首長法発布 1534年

イングランド・ヘンリー8世がカトリックから決別、自らを首長とした英国国教会を設立した。これによってブリテン島南部(イングランド王 国)=英国国教会(プロテスタント)、アイルランド=旧教(カトリック)、ブリテン島北部(スコットランド王国)=新教カルヴァン派 (プロテスタント)という対立構造ができあがった。


エリザベス1世

絶対王政 エリザベス1世 在位 1558〜1603年

父ヘンリー8世の死後、弟と姉の短期間の治世で後退した王権を強固なものとし、絶対王政を敷く。スペイン無敵艦隊を破り制海権を奪い世界 帝国に。抵抗勢力の多いアイルランド北部にプロテスタントを入植させ、焦土作戦を採りカトリック数万人を虐殺した。


クロムウェル

清教徒革命 死神クロムウェル 遠征 1649〜53年

イングランドで清教徒革命が起き、革命軍(議会派)が王党派を破り共和制になる。その指導者オリバー・クロムウェルは鉄騎隊を指揮して、アイルランド、スコットランドを攻撃(三王国戦争)、カトリックの土地を奪い尽くしプロテスタントに分与した。結果アイルランドは人口の1/3を失う。


オレンジ公ウィリアム3世

名誉革命余波 ウィリアム3世 遠征 1690年

クロムウェル没後いったん復古した王政を、無血革命で再度共和制にした名誉革命。無血とは名ばかり、追放された前王、カトリックの ジェームズ2世が復権を目指しアイルランドで蜂起。1690年のボイン川の戦いでイングランド王(のちスコットランド王を兼ね大ブリテン王) オレンジ公ウィリアム3世が、この地を蹂躙した。


独立までの長い道のり

独立運動と英国への併合 1801年
幾度かの独立運動が起きるが頓挫。アイルランド議会は閉鎖し、1801年、大ブリテン国に下る。
カトリック解放令 1829年
カトリックの政治家ダニエル・オコンネルにより、抑圧されたカトリックの参政権など一部復権。
大飢饉 1845〜49年
ジャガイモの立ち枯れ病により、100万人が餓死、同数の人がアメリカなどに移住。
土地戦争 1870年代
代議士スチュアート・パーネルは、アイルランド農民に不在地主(アイルランドに住まず搾取だけ行うブリテンの地主)から土地を手放させた。
イースター蜂起 1916年
イギリス議会が認めたアイルランド自治法が施行されないことにダブリンで反政府運動が勃発。運動は制圧されるが後の処刑をめぐって反英の民意が盛り上がり、アイルランド共和国独立の動きに。
英愛戦争 1919年
独立宣言を受けて1919年交戦。北部6州は英国領のまま、他も英連邦下にあるという「アイルランド自由国」協定で休戦。IRA(アイルランド共和軍)発足。
共和国成立 1949年
自由国内で内戦などを起こしながらも、1949年、アイルランド共和国として英連邦から脱退。
北アイルランドのカトリック公民権運動 1970年代
英領に残った北部6州では少数派のカトリックが公民権をもとめて運動が激化。イギリスが派兵。1972年、カトリックの平和的デモに英軍が発砲、市民が犠牲となる「血の日曜日」事件に。 カトリック過激派によるテロと、応酬するプロテスタントのテロ報復で泥沼化。
和平合意 1998年
長年の和平に向けての努力が実り、両者対立に区切り。翌年、北アイルランド自治政府が成立。
和平プロセス終結 2010年
司法・警察権が英政府から北アイルランド自治政府に移譲され、治安権限を回復、和平プロセスが事実上終結した。

参考図書

  • 『図説 アイルランドの歴史』リチャード キレーン Richard Killeen (原著) 鈴木 良平 (翻訳) ※Amazon Check!
  • 『アイルランド問題とは何か』鈴木良平 ※Amazon Check!
  • 『アイルランドを知れば日本がわかる』林景一 ※Amazon Check!
  • 『暴力と和解のあいだ』尹慧瑛 ※Amazon Check!
  • 『街道をゆく 愛蘭土紀行T』『街道をゆく 愛蘭土紀行U』司馬遼太郎 ※Amazon Check!
  • 『アイルランドを知るための60章』海老島均、 山下理恵子 ※Amazon Check!
2012年02月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部