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城にまつわるストーリー Castle & City Wall

遺跡のような中世の城塞から貴族のマナーハウスまで、アイルランドではさまざまな城や城郭に遭遇する。アングロノルマン侵入以降に建てられた石の城は地主による権力と支配の象徴でもあり、一方、中世の地主にもアイルランドに代々住むカトリックの貴族とプロテスタント系の貴族の2種類がいた。城の変遷を紐解くと、アイルランドが辿った歴史の断片が見えてくる。

ブラックウォーター沿いに建つリズモア城

ブラックウォーター沿いに建つリズモア城

short history of アイルランドの城

要塞からマナーハウスへ

城はもともと敵の侵入を防ぐ砦として建てられ、街を囲む城壁も大きくは城に含まれる。断崖に造った古代の石塁や土塁は中世に木造の城となり、アングロノルマン(ノルマン系英国人)の侵入後はより強固な石造りの要塞へ変わっていく。外壁も木製の柵から石造に変わり防衛力が増すと、塔と別に居館が建てられるようになる。15〜17世紀にアイルランドで多く建てられた典型的な城が要塞と居住を兼ねたタワーハウスと呼ばれる3〜5階建ての要塞城で、狭い螺旋階段でつながり、石や火などを浴びせる狭間も擁していた。1429年にヘンリー6世が城の建造を奨励したこともタワーハウスが増えた理由のひとつで、中世には8000あったという。

16世紀から17世紀はじめからは城は居住地としての役割を強め、フォーティファイハウスという小塔などの防衛機能も残しながら、中方立てや欄間などの装飾窓がある邸宅が建てられた。ジェームズ1世(在位1603〜25)の時代には防衛機能のない邸宅が造られ、城は快適で優雅なマナーハウス(地主の邸宅)となる。一方、中世の古城は何100年もの間に歴代の城主によって修復や増築され、その時代の流行の建築様式を取り入れていった。

アイルランドの邸宅、城、庭園

アイルランド南東部と北アイルランドにある主な城と城壁

英単語にもなった有名な城
ブラーニー城 Blarney Castle

コーク県ブラーニーにある城。10世紀の木造の城、13世紀の石の城を経て、現存する城はマンスターの地主のひとりダーモット・マッカーシーによって1446年に建てられた。各階の部屋が螺旋階段でつながる典型的な中世のタワーハウスだ。

城壁の上部にあるブラーニーストーンという石にキスをすると雄弁になれるという伝説で知られる。エリザベス女王1世の使者に城を明け渡すように迫られたが、城主のコーマック・マッカーシーが雄弁さとお世辞でやんわりとかわし、降伏せずに女王に忠誠を誓い、自治を守ったことに由来。ここから口先だけのお世辞、丸め込む、という意味の単語blarneyが生まれた。1689〜1691年のウィリアマイト戦争でマッカーシー家はカトリックのジェームズ2世側についたかどで城は没収。1688年にはコーク県首長のジェームズ・ジェフリーに転売され、現在はその一族が所有し、1874年にゴシックリバイバル様式のブラーニーハウスと庭を建造した。

ブラーニー城 Blarney Castle 公式サイト

アイルランド中世の典型的タワーハウスのブラーニー城

アイルランド中世の典型的タワーハウスのブラーニー城

雄弁になるには勇気が必要。チャーチルもここにキスをした

雄弁になるには勇気が必要。チャーチルもここにキスをした

庭も整えられている

庭も整えられている

大広間は一番上の階にあった

大広間は一番上の階にあった


偉大な科学者もここで生まれた
リズモア城 Lismore Castle Gardens

ダブリンの南約200kmの小さな町リズモアのランドマーク。1185年にジョン皇太子が建てて以来、英国国教会主教の住まいだった。その後、城主となったのは中世アイルランドにジャガイモをもたらしたといわれるエリザベス女王の寵臣ウォルター・ローリー。1579〜1583年のデズモンドの反乱でカトリックを鎮圧した功績によりリズモアの土地を得たローリーはマンスターの地主のひとりとなり、17年間務めた。1602年に城はコーク伯リチャード・ボイルに売却。ここで生まれ育った息子のひとりが「ボイルの法則」で知られる化学者ロバート・ボイルだった。1753 年からはイングランドのデボンシャー公爵家の邸宅となり、一族の子孫が住む現在の城は19世紀半ばにゴシック様式に再建したもの。ジャコビアン様式の庭園には、17世紀のウオールガーデン、野菜やハーブなどが植えられたキッチンガーデンがある。邸宅内はバトラーが応対する貸し切りでのみ宿泊が可能で、夏期のみ現代アートのギャラリーと、庭が公開されている。

リズモア城 Lismore Castle Gardens 公式サイト

アートギャラリーを併設

アートギャラリーを併設

クリスタルパレスを手がけたジョセフ・パクストンが設計した温室についてヘッドガードナーのクリスさんが説明

クリスタルパレスを手がけたジョセフ・パクストンが設計した温室についてヘッドガードナーのクリスさんが説明

17世紀のウオールガーデン

17世紀のウオールガーデン

ガーデンが自慢の城

ガーデンが自慢の城


要塞化されていない初期のマナーハウス
オーモンド城Ormond Castle

バトラー家はキルケニーを中心に英国の直轄地を支配したアングロノルマンの大貴族で、周辺に一族の城が多くある。ティペラリー州の町キャリック・オン・シュアにあるオーモンド城もそのひとつで、16世紀のエリザベス朝のマナーハウスに当時の内装が復元されている。

そもそもバトラー家初代となるテオボルト・ウォルター(1206年没)は戴冠式でワインを注ぐ係で初のアイルランド執事長となった人物。1185年にジョン皇太子とともにアイルランドに訪れてから王の代理として特権を与えられていた。1315年に子孫のエドムンド・バトラーがキャリック伯爵に、その息子ジェームス・バトラーが1328年にオーモンド伯爵となり、一族の地位を固めていった。このオーモンド城は1560年代に第10代オーモンド伯トーマス・バトラーが新たに建てた邸宅。混乱期にあって防衛機能を備えていない大規模マナーハウスとしてはアイルランド唯一。17世紀まで子孫が住み、20世紀まで一族が所有していた。一般公開は春〜秋で、ガイド付きツアーのみ見学が可能。

オーモンド城 Ormond Castle (アイルランドの遺産サイト)

オーモンド伯ブラック・トム・バトラーが建てたマナーハウス

オーモンド伯ブラック・トム・バトラーが建てたマナーハウス

オーモンド伯爵の応接の間

オーモンド伯爵の応接の間


オーク材でできた天蓋ベッドの寝室。窓も大きく、居住性が考えられている

オーク材でできた天蓋ベッドの寝室。窓も大きく、居住性が考えられている

城内にある塔は15世紀に建てられた要塞の廃墟

城内にある塔は15世紀に建てられた要塞の廃墟


大地主バトラー家の6世紀にわたる本丸
キルケニー城Kilkenny Castle

キルケニー県の州都にある城で、原型は13世紀はじめのノア川を眼下に望む高台にペンブルック伯爵のために造られたノルマンの石の城。1391年に第3代オーモンド伯ジェームス・バトラーが買い取り、1967年まで代6代オーモンド侯アーサーまで、600年近くにわたってバトラー家の居城だった。キルケニー城は、英国やアイルランドの政治が混乱する中でどの体制に付くかの判断が一族の運命を決めてしまう時代を700年以上も生き延びてきたバトラー家の本家の城。今残る15世紀の要塞と主に19世紀に建て増した部分、装飾品や調度品、肖像画などを見ながら、アングロアイシッリュ系の地主としてのバトラー家の栄枯盛衰がわかる。ガイドツアーでは飢饉のときには減税や免除したという地主バトラー家とキルケニーとのつながりのエピソードも聞ける。

キルケニー城 Kilkenny Castle 公式サイト

保存状態のいい城だが、残念ながら内部の撮影は禁止

保存状態のいい城だが、残念ながら内部の撮影は禁止

庭もきれいに整っている

庭もきれいに整っている

キルケニーリバーコートホテルから城を望む

キルケニーリバーコートホテルから城を望む


デリーの対立の歴史を物語る
城壁 City Walls

デリー/ロンドンデリーは城塞都市で、アイルランドに現存する唯一の城壁。旧市街を形成する周囲1.6Km、高さ約8mの城壁は、ジェームズ1世の命を受け、イングランドとスコットランドからやってきたプロテスタントの入植者が1613〜1618年に築き上げた防衛拠点。市街を囲む城壁にはビショップ、フェリーキー、シップキー、ブッチャーの4つの主な門があり、各門を通る道のすべてがダイヤモンドという広場で交差する。大砲24基も復元され、城壁内に展示されている。

この城壁は実際にプロテスタントの人々をカトリックの包囲から守るために使われ、中でも長期戦だったのが1688年に始まったデリーの包囲戦。名誉革命で王位を追われたイングランド王ジェームズ2世はフランスからの支援を受け、アイルランドのカトリック軍とともに、プロテスタントが逃げ込んだ城壁を包囲。城壁内に逃げ込んだ3万人は105日間にわたってろう城。病気と飢えで命を失う人も出た。1689年7月、プロテスタントであるウイリアム軍の救援により包囲は解かれた。この11ヶ月後、ジェームズ2世はボイン川の戦いにも破れ、プロテスタント支配が決定的となる。

デリーの歴史的な城壁(北アイルランド政府観光庁)

城門のひとつ、ビショップゲート

城門のひとつ、ビショップゲート

保存状態のいい大砲コレクション

保存状態のいい大砲コレクション

城壁からは市街地が眺望できる。一周すると1.5kmほど

城壁からは市街地が眺望できる。一周すると1.5kmほど

ボグサイド側からみた城壁

ボグサイド側からみた城壁


2012年02月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部