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プレミアリーグで大注目のマンチェスターへ!

香川真司選手のマンチェスター・ユナイテッド入団でなにかと注目が集まるマンチェスター。 ロンドンから電車で北西に2時間強、リバプールからも東へ1時間弱のイングランド北西の都市だが、サッカー以外の印象がちょっと薄いのも事実。 いったいどんな街で、どんな見どころがあるのか、現地取材を決行した。


今年6月にオープンしたナショナル・フットボール・ミュージアム。アービスというモダンなビルの中

今年6月にオープンしたナショナル・フットボール・ミュージアム。アービスというモダンなビルの中

イギリス地図

マンチェスターってどんな街? 

産業革命の遺産が残る世界最初の産業都市

マンチェスターは産業革命とともに発達した街で、綿工業で栄えたときにはコットノポリス(Cottonopolis)と呼ばれていた。 今もその時代に造られたウエアハウス(倉庫)とミル(綿紡績工場)の外観が町並みに残されている。 人口は50万人と、ロンドン、バーミンガム、リーズ、シェフィールドなどより少なく7番目だが、 グレーターマンチェスターという広い都市圏では、英国2番目の規模(2011年の国勢調査)。 美術館・博物館やシアターなどのカルチャー&エンターテイメント施設も充実しており、 学生人口も多いため、サブカルチャー的な見どころも少なくない。 王室関連の“ロイヤル”な見どころがない分、産業革命に端を発する一般庶民の歴史が見られる場所。

街のサイズがコンパクトなため見どころが中心部に集中し、街歩きがしやすい。 一般的にマンキュニアン(マンチェスターの人)はイングランド北部の人らしく、せかせかしていない。 大都会とは違うフレンドリーさを感じられるだろう。

1856年建造のウエアハウス。今はホテルになっている

1856年建造のウエアハウス。今はホテルになっている

ショッピングビル、アフレックスの壁。マンチェスターゆかりの人々のモザイク画はカーク・ケネディという人の作品

ショッピングビル、アフレックスの壁。マンチェスターゆかりの人々のモザイク画はカーク・ケネディという人の作品

今も運河があちこちに

今も運河があちこちに


Brief History 産業革命で発達したリベラルな風土

ケルト人の土地にローマ人が城塞を築いたのが街の始まり。 12世紀に地元の原料を利用した羊毛工業が起こり、14世紀にはフランドルから織物職人が移住し毛織物産業が発達。 17世紀になると綿織物工業が始まり、18世紀に織機・紡績機が改良されて産業革命が起こると、 マンチェスターは綿工業の中心として、バーミンガムなどと並び、世界の工場となる。 1830年にはリバプールとの間に鉄道が開通、1894年にはマージー川へつながる運河が完成し、 マンチェスターの綿織物がリバプールから世界に輸出された。 都市の工業化と同時に社会問題も発生し、マンチェスター学派などリベラル派の社会運動が起こり、労働組合運動の一大拠点となっていく。

世界大戦後は製造業が衰退し、1960年代以降は英国病により、さらに繊維産業が没落、人口も減少。 80年代に多くの工場が閉鎖に追い込まれる。 しかし、最近は製造業に代わってメディアや研究施設、金融機関が集まるようになり、勢いを取り戻しつつある。 「シャーロック・ホームズの冒険」などで知られるグラナダTV(統合されてITVに)もマンチェスターにある。 BBCは今年ロンドンから機能の一部をサルフォードの再開発地区メディアシティUKへ移転。 英国のリベラル派の新聞「ガーディアン」ももともとはマンチェスターの地方紙だった。

1845年当時のマンチェスター。工場から煙が出ている(MOSI)

1845年当時のマンチェスター。工場から煙が出ている(MOSI)

公的機関移転の一環でBBCはメディアシティUKに移転

公的機関移転の一環でBBCはメディアシティUKに移転

1948年に稼働した世界初のプログラム内蔵式コンピューターもマンチェスターで生まれた(MOSIにあるレプリカ展示)

1948年に稼働した世界初のプログラム内蔵式コンピューターもマンチェスターで生まれた(MOSIにあるレプリカ展示)


Pop Music 80年代に起こった伝説“マッドチェスター”

マンチェスターはニューオーダーやザ・スミス、ザ・ストーン・ローゼズ、ハッピーマンデーズ、オアシスが結成された地。 これらのバンドが登場したのは、1980年代後半から1990年前後の音楽ムーブメント“マッドチェスター”のさなか。 このムーブメントを牽引していたのがインディーズレーベルのファクトリー・レコード。 この会社は「ハシエンダ」というクラブも運営し、オアシスのギャラガー兄弟がバイトしていたり、マドンナが初めて英国でテレビに出演したなど、さまざまな伝説を生み出した。 1997年にハシエンダはクローズ、跡地は現在アパートになっている。

このマッドチェスターを描いた映画がマイケル・ウィンターボトム監督の『24アワー・パーティピープル』(2002)。 また、ニューオーダーのメンバー、ピーター・フック著 『ハシエンダ マンチェスター・ムーヴメントの裏側』にもこの当時の様子が詳しい。

オアシス「ザ・マスタープラン」

マンチェスター周辺の都市の風景を描いたこの街出身の画家L.S.ラウリーの世界をアニメで表現したオアシスのPV

ハシエンダの復活ライブのポスター(2006年のもの)。今も根強いファンがいる

ハシエンダの復活ライブのポスター(2006年のもの)。今も根強いファンがいる


産業革命とサッカーとマンチェスター

サッカーはもともと村同士の対抗戦から始まった競技だったが、産業革命で農村のコミュニティが崩壊し、零細農民が都市で労働者になると、過酷な労働の合間に彼らはサッカーを楽しむようになった。 そういった背景から、バーミンガムのアストン・ヴィラ(1874年結成)、マンチェスター・ユナイテッド(1878年)、ロンドンのアーセナル(1886年)、リバプール(1892年)など名門クラブの多くは、産業革命時代の工業都市で誕生。 ラグビーの団体がパブリックスクール出身者の親睦団体だったのに対し、イングランドサッカー協会は各地域のサッカークラブに参加を呼びかけた。 さらにサッカー賭博が1923年に始まったことで、サッカーは大衆化の道を進むことに。

産業革命により世界の工場となった英国は、世界に商船を送り、行く先々の港でサッカーを伝えていった。 そのためヨーロッパでは、バルセロナ、ロッテルダム、ジェノバ、リスボン、ハンブルクなど港町にサッカークラブが生まれた。

また、世界初のプロ選手の労働組合PFA(Professional Footballers' Association)が1907年、労働組合運動の一大拠点だったマンチェスターで結成され、今も本部がある。

1863年にFAが作った統一ルール(ナショナル・フットボール・ミュージアム)。今も世界で2億5000万人がこの規則にしたがってプレイしている

1863年にFAが作った統一ルール(ナショナル・フットボール・ミュージアム)。今も世界で2億5000万人がこの規則にしたがってプレイしている



2012年10月


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地球の歩き方ガイドブック 編集部