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オタワ春の祭典へ オランダとの友好の物語、チューリップフェスティバル

チューリップ畑を前にみんなでジャンプ!(メジャーズヒルパーク)

チューリップ畑を前にみんなでジャンプ!(メジャーズヒルパーク)

カナダとオランダの友好物語

花壇は英語でベッド。まさにチューリップのベッドが敷かれているよう

花壇は英語でベッド。まさにチューリップのベッドが敷かれているよう

春が訪れると、オタワのあちこちで鮮やかなチューリップが開花する。チューリップシティとして知られるオタワでは、5月中旬に「カナディアン・チューリップフェスティバル」が開催され、色も形もさまざまな100万本ものチューリップが咲き誇る。

なぜ、オタワでチューリップなのか。その背景には、カナダとオランダの友好の物語があった。 第二次世界大戦中、1940年のナチス侵略により、オランダ王室のユリアナは母ウィルヘルミナ女王と英国へ亡命。さらにユリアナは2人の娘を連れ、ウィルヘルミナ女王の従妹であるカナダ総督夫人を頼ってオタワに身をよせた。ユリアナはオタワ滞在中の1943年に三女の出産を迎えたが、オランダ国内で生まれないと王位継承権が得られないというオランダの法律に配慮し、カナダ議会は、ユリアナたちがいる病室をオランダの治外法権区域とする特別法を可決。

このときに生まれたユリアナの三女が、前女王ベアトリクス(在位 1980-2013年)の妹となるマルフリーテ王女。国会議事堂ではオランダ国旗が掲げられ、オランダ国歌を奏で、誕生を祝福した。ユリアナたちは戦後母国に戻ったが、オランダ王室はお礼と友情の証として、1946年に10万株のチューリップの球根をオタワに送った。ユリアナは1948年に女王となったが、その後もオランダ王室とオランダ球根協会がそれぞれ毎年1万株を贈り続けているという。

マルフリーテ王女がオタワを公式訪問についての説明

マルフリーテ王女がオタワを公式訪問についての説明

カナダとオランダの友好の証を展示

カナダとオランダの友好の証を展示

国際的なイベントに発展

このチューリップに魅せられたのがアルメニア系カナダ人の写真家、マラク・カーシュ。1946年にユリアナから送られた、パーラメントヒルに咲くチューリップを撮り始めたことがきっかけで、1951年にはオタワ商工会議所にフェスティバルの実施を提言、実際に開催されることとなった。

会場はオタワとケベック州ガティノーのオタワ首都圏におよぶ。毎年、首都圏委員会のガーデナーが色や形、大きさなどを考慮して花壇をデザインし、秋に球根を植えるという。とくにカナディアンリベラトールのような象徴的な品種は毎年欠かさず植えている。オランダ直送のチューリップだけあって、種類も豊富。花壇は他の花をあまり混ぜずにチューリップだけで、見事なグラデーションを描いている。

毎年見られるカナダのシンボル、カナディアンリベラトール

毎年見られるカナダのシンボル、カナディアンリベラトール


珍しいチューリップも見られる

珍しいチューリップも見られる

色の配置も素敵

色の配置も素敵

オタワでの主な会場は、リドー運河沿い、ダウズレイクの湖畔にあるコミッショナーズパーク。ここに30万本のチューリップが咲き揃う。中心地でアクセスしやすいのがメジャーズヒルパークで、ノートルダム聖堂や国会議事堂を背景に写真が撮れる。期間中はいろいろなイベントも行なわれ、大使館が多いオタワらしく市庁舎前広場にはインターナショナルパビリオンとして世界各国のブースが並ぶ。最終日はダウズレイクで花火がある。シャトルバスも運行。2014年は5月9〜19日に開催。

カナディアン・チューリップフェスティバル

ノートルダム聖堂をバックに写真が撮れる

ノートルダム聖堂をバックに写真が撮れる

市庁舎前広場で行なわれるインターナショナルパビリオン入口

市庁舎前広場で行なわれるインターナショナルパビリオン入口

カナディアン・チューリップフェスティバル

主なチューリップフェスティバル会場

コミッショナーズパーク

メジャーズヒルパーク

チューリッププラザ(市庁舎前)

2013年07月