ガイドブック編集部 > 特集 > ロシア・ブリヤート共和国訪問記 > ウラン・ウデと近郊の見どころ

ウラン・ウデと近郊の見どころ

ロシアのチベット仏教の総本山イヴォルギンスキー・ダツァン

ブリヤート歴史博物館ではチベット仏教の展示品も充実している

セメイスキエの女性たち。元気いっぱいですばらしい歌声を聴かせてくれた

ブリヤートの名物料理「ブーズ」とピロシキ


ブリヤート共和国の首都
ウラン・ウデと近郊の見どころ

ウラン・ウデはブリヤート語で「赤いウデ川」の意。モンゴル国境北からバイカル湖の東、南岸に広がるブリヤート共和国の首都だ。ソヴィエト連邦時代から航空機産業で栄え、現在の人口は約41万2000人(2012年)。

ウラジオストクとモスクワを結ぶシベリア鉄道のウラン・ウデ駅は、モンゴルを経て中国へ至る支線の起点となっており、交通の要衝地でもある。山形市、留萌市と姉妹都市の協定を結んでいる。

町の見どころ

市庁舎の前、ソヴィエト広場に入ると、黒い巨大な頭像が目に飛び込んでくる。ロシア革命の父、レーニンだ。1971年の完成で高さは7.7m、重さは10トン。世界最大の頭像としてギネスブックに認定されている。

ウラン・ウデにはバイカル湖西側の隣町イルクーツク同様、第2次世界大戦後は日本人抑留者の強制収容所が置かれた。「メインストリートのレーニン通りに面する、立派なオペラ・バレエ劇場の土台は、日本人抑留者が中心になって作った」と地元の人に聞いた。この劇場は東シベリア唯一のオペラ座として有名。ロシア王立ボリショイ・バレエ団で活躍した岩田守弘さんが、現在ここで芸術監督を務めている。

レーニン通りを東に進むと歩行者天国になる(レーニン通りとの交差点と、キーロフ通りとの交差点の間)。その先に凱旋門が見えてくる。目抜き通りからはずれると、木造の古い家々がそこかしこにある。窓を覆う戸や窓枠が薄い青だったり、黄色だったり……。古き良きシベリアの町の風情が楽しめる。

市内には7つの博物感がある。宗教関連の展示が充実しているブリヤート歴史博物館、バイカル湖とその周辺の自然を紹介するブリヤート自然博物館が特におすすめだ。いずれもソヴィエト広場から徒歩5分ほど。

ウラン・ウデの町全体を見渡すなら、ルイサラ・ガラーという山の上にある仏教センター、リンポチェ・バフシャへ行くといい。筆者は早朝訪れた。町の家々の煙突から、ほの白い煙が立ち上るさまは北国ならでは。石炭を燃やして暖を取る家がまだ多いようだ。

イヴォルギンスキー・ダツァン

1945年に建立された、ロシアにおけるチベット仏教(ラマ教)の総本山。ウラン・ウデ近郊のイヴォルガ村の外れにある、ブリヤート人の聖地だ。ブリヤートはロシアに3カ国ある仏教国なのである。死後30年経ったら掘り起こすよう遺言を残して亡くなり、2002年に実際に掘り出された際にほとんど腐敗がみられなかった高僧、イチゲロフの亡骸がここに安置されている。

寺院の境内は広い。本堂、僧侶が寝食を共にする宿坊、宝物庫、書庫などが建ち並ぶ。現在、100人を超える僧がここで修行しているという。訪れる人たちは、随所に多数あるマニ車(転経器)をグルグル回しながら、境内や建物の中を時計回りに歩いて参拝する。マニ車を一度回すと、真言(マントラ)を最初から最後まで一回唱えたのと同じ功徳がもたらされる、と信じられている。

お寺の周囲の木の枝には、参拝に来た信者が色とりどりの布を結びつけて帰って行く。日本の神社の「おみくじ」を思い出した。青い布が多い。青は聖なる色、高貴な色とされ、尊ばれているとのこと。

門の付近にはお土産屋が並ぶ。モンゴルからの行商のクルマも停まっている。筆者は防寒のために、600ルーブル(約2000円)でヤクの毛でできた耳当てつき帽子を買った。

眠れるライオン

イヴォルギンスキー・ダツァンからセメイスキエ村へ移動する途中、現地語で「眠れるライオン」と呼ばれる高台に立ち寄った。“ライオンの背”を登ると、バイカル湖に流れ込むセレンガ川と周辺の原野が一望できる。バイカル湖や川に棲む鮭科の魚「オームリ」を取る漁師は、ここから魚影を確認して漁をしていたという。晩秋につき草木はほぼ枯れていたが、春〜夏は緑に覆われた雄大なシベリアの風景が見られることだろう。

セメイスキエの村

セメイスキエは「家族として生きる人々」の意。ロシア古儀式派(ロシア旧教)の信徒たちで、今回訪れたヂェシャートニカヴォ集落はウラン・ウデの南、50kmほどのところにある。古儀式派教徒は、宗教改革のあおりでポーランドや南ロシアに逃れた後、18世紀後半にシベリアに移住してきた。以来、二百数十年にわたり独特の信仰、文化、生活習慣を守り受け継いできた。

集落の道は未舗装。しかし家は色とりどりにきれいにペイントされ、窓や門には草花、果実、鳥などの絵がかかれている。おとぎの国にいるようだ

門から出てきたおばあちゃんの民族衣装がまたカラフル。横縞のエプロンを幾重にも重ねたようなロングドレスを翻しながら、おばあちゃんたちは合唱を披露してくれた。ゆったりとしたリズム、優雅な振り付け、耳に心地よい旋律とハーモニーに感動! 家の中の見学や食事もでき、セメイスキエの風習、暮らしぶりに接することができた。

なお、「セメイスキエの文化的空間と口承文化」は2001年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されている。

アツァガツキー・ダツァン(チベット仏教寺院)

草原遊牧民=ステプノイ・カチェフニクが暮らしたアツァガツカヤ谷にある、アツァガツキー寺院も見学した。建立は1825年。平らな丘の上にある壮麗な寺院や、1991年にダライ・ラマ14世が来訪した際に魂を入れられた屋外の大きな仏像、1000体あるという小さな仏像は見物だ。

寺院の脇にはブリヤート人のチベット仏教僧、アグワン・ドルジエフの記念館がある。1854年生まれのドルジエフは、ダライ・ラマ13世に文学や哲学などを教えた教師でもある。頭脳明晰で7カ国語を操り、1913年のチベット・モンゴル相互承認条約締結の際は、チベット側の全権代表として活躍した。

レーニンと交誼をもち、来日経験もある彼は、スターリン政権下の1937年にモンゴルおよび日本のスパイ容疑で収監され、翌年に刑務所で死去する。しかし、1957年に無罪とされ、その功績をたたえて国葬がとり行われた。ちなみに、ブリヤート共和国で文化・学術に貢献した人に授与される権威ある賞には、彼の名が冠されている。

アツァガツカヤ谷

ウラン・ウデから約50kmのアツァガツカヤ谷に、遊牧民の生活を疑似体験できる観光施設があった。出迎えてくれたのは、民族衣装に身を包み、青いハダック(スカーフ)を手にした地元女性たち。ちなみに青は大切な人を迎える色なのだとか。

敷地内には、遊牧民の移動式の家ユルタ(ゲル)が数軒常設してあり、春〜夏は1泊朝食込み500ルーブルでそこに宿泊することができる。南側と決まっているユルタの入り口から中に入る。予想していたより明るく、広い。男性は東側、女性は西側、来客は北側と、居場所も明確に決まっているそう。竈(かまど)を支える3つの石は、父、母、嫁を意味するという。食器や農具、馬具、衣服などが展示されており、大平原を移動して放牧を営む遊牧民の生活が垣間見られる。外の小屋では牧羊犬フォトショーも飼育されている。

観光施設内のホールの中では、若い男女の結婚をテーマにした寸劇が披露された。なんとお婿さん役に指名され、婚礼の正装をまとい楽しく踊った。帽子をかぶり手には家畜を追うムチ、腰には笛。セメイスキエでも参加型の結婚寸劇を見た。お祝い事や祝詞はどの民族でも特別な行事で、大切に継承されているのだ。

ウラン・ウデと近郊の見どころ スライドショー

ウラン・ウデの見どころ

ウラン・ウデの見どころ

ブリヤート歴史博物館、オペラ・バレエ劇場

ブリヤート歴史博物館、オペラ・バレエ劇場

イヴォルギンスキー・ダツァン

イヴォルギンスキー・ダツァン

セメイスキエ

セメイスキエ

アツァガツカヤ谷

アツァガツカヤ谷

宿泊施設と食事

宿泊施設と食事

町の見どころ

ブリヤート歴史博物館、オペラ・バレエ劇場

イヴォルギンスキー・ダツァン

セメイスキエ

アツァガツカヤ谷

宿泊施設と食事

2013年12月



ページ上部に戻る
地球の歩き方ガイドブック 編集部