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コプリフシティツァ

秋の陽光が降り注ぐ山間ののどかな町並み。思い思いの意匠が凝らされた民族復興様式のカラフルな家々が立ち並ぶ石畳の道には、そんなのどかさとは裏腹にブルガリア人の「抵抗」の足跡が残っているような気がする。

オスマン帝国の支配下にあったブルガリアでは、18世紀後半になると民族解放運動の担い手たちが台頭するようになった。経済的な自立を背景に、西欧やロシアの思想の影響を受けた彼らは「独立」という目標を掲げ、具体的な行動を起こす。そして1876年4月、ここコプリフシティツァで発せられた1発の銃声を合図に、ついに「四月蜂起」が勃発する。ブルガリアの歴史上重要な役割をはたしたこの町には、もうひとつの顔がある。ブルガリアで最初の「博物館都市」としての役割だ。歴史、美術、民俗にかかわる388の記念碑的建造物を有するこの町は、世界的な観光名所のひとつとなっている。

「オスレコフの家」は、豪商ネンチョ・オスレコフが1856年に建てた。玄関部を支える3本の柱は彼が持ち帰ったレバノン杉で作られ、この家の外観の要となっている。豊富な装飾品や衣服などの展示から19世紀のコプリフシティツァの裕福な家庭生活を垣間見ることができる

塀に囲まれた「カブレシュコフの家」は1845年の建造。この家の前には、ここで生まれたトドール・カブレシュコフ(1851〜1876年)の像が立っている。手にはピストルが握られている。彼は、1876年の四月蜂起の指導者で、たった25歳で亡くなった

コプリフシティツァ最初のハウスミュージアムとなったのが「カブレシュコフの家」。1932年から一般に公開されている。この町には、ハウスミュージアムとして公開されている美しい民族復興時代の邸宅が6軒ある

「カブレシュコフの家」の天井の細工。職人による繊細な仕事の跡がうかがえる。民族復興時代に建てられた邸宅には、こういった贅を尽くした装飾が施されているので、見落とさないようにしたい

「カブレシュコフの家」の2階には、トドール・カブレシュコフに関する展示がある。ライフルのほか、教科書、駅長時代の制帽なども展示され、革命家以外の彼の顔も垣間見える

「カブレシュコフの家」の1階では、当時の生活をしのばせるような展示が行われている。この部屋には木製のゆりかごが置かれていたが、幼いトドールはこの中から母親の優しい顔を見つめていたのだろうか

カブレシュコフの家の西隣には青い家が建っている。ここは一般公開されている訳ではないが、この町には美しい屋敷がそこかしこに点在している。そんな家々を眺めながら散策していると、時を忘れてしまいそうになる

税徴収人であった有力者トパロフが1854年に建てた邸宅。1906年に、この町の代表的な商人リュトフの手に渡ったことから「リュトフの家」と呼ばれる

「リュトフの家」の天井の細工。絵と木彫り細工の調和が見事。この家では、そこかしこで装飾絵画を見ることができる

「リュトフの家」の居間のひとつ。当時の裕福な人々の暮らしぶりには驚くべきものがある。この家では、ローズ・ウォーターが噴き出す小さな噴水を部屋に置き、バラの香りで満たして客をもてなしていたという

笑顔がかわいい、糸を紡ぐおばあちゃん。この町では、工芸品、織物、刺繍、民族衣装など昔ながらの方法で作られる。古い町並みと古い技術との共存は今では貴重

素朴な木彫りの操り人形。木目が美しく、触るのがはばかれるほど。ユーモラスな表情がたまらない

街角のメハナ(食堂)。こんな建物で取る食事なら、地元ならではの料理をオーダーしたい

石畳の道。革命を志す多くの若者がこの道を、歩いたり走ったりしたのだろう。四月蜂起は制圧され失敗に終わったが、この蜂起があったから後の露土戦争が起こり、ブルガリアはオスマン・トルコから解放されることになった

4月20日広場近くの石橋。町を南北に流れるトポルニツァ川に流れ込む小さな川には、風情ある橋がいくつか架けられている。中でも有名なのはカラチェフ橋で、四月蜂起の勃発を告げた最初の銃声は、その橋の上から鳴り響いた



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地球の歩き方ガイドブック 編集部