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ミケーネ〜神話の舞台と発見のロマン

駐車場からミケーネ遺跡のエントランスに向うと前方に石積みの城壁が取り巻く小高い丘が見えてくる。アテネのパルテノン神殿の時代からさらに1000年溯る古代ギリシアのアクロポリスだ。

ミケーネ遺跡は、紀元前16〜12世紀に繁栄したミケーネ文明最大の城塞都市であり政治経済の中心地で、20km南方のティリンス遺跡と共に1999年、世界遺産に登録された。
ミケーネ文明は、先行して栄えていたミノア文明(クレタ文明)征服し、紀元前15世紀ごろには東地中海を支配した。さらに紀元前14〜13世紀には対岸の小アジア(現在のトルコ)にまで勢力を拡大、ホメロスの叙事詩の題材となったトロイア戦争もこの時代にあったものと考えられている。

エントランスから続く緩やかな坂を上ると、二頭の獅子が向き合う獅子門が私たちを迎えてくれる。城塞のメインゲートに相応しい巨大な石造建築だ。それでも、発見された当時はわずかにライオンの頭が地上に出ている程度だったという。門の上部にある三角形の梁(はり)にあたる部分はミケーネ建築の特徴を示すもので、アトレウスの宝庫にも同じ構造物がある。


獅子門をくぐると、すぐ右手に地盤を掘り下げて周囲を石垣でサークル状に取り囲んだ構造物がある。これが「円形墳墓A」。
1876年、ハインリッヒ・シュリーマンがここにトロイア戦争でイーリアス(トロイ)を侵略したアガメムノンが眠っていると信じ、私財を投じて発掘した。そしてついに「黄金のマスク/アガメムノンのマスク」を発見したのだ。他にも王冠、金のイヤリングや髪飾りなどおびただしい数の副葬品がみつかった。それらの金の重量は14kgにも達したという。ホメロスは叙事詩「イーリアス」の中でミケーネを「黄金に富むミケーネ」と讃えているが、まさにそれが証明されたのだ。
(正確には、円形墓地Aはトロイア戦争よりも古い時代(紀元前16世紀後半〜15世紀ごろ)ものであることが後の研究で証明された。またここで発見された遺物のほとんどはミケーネにはなく、アテネの国立考古学博物館に展示・保管されている)


いくつかの遺構を見学しながらアクロポリス丘の頂上を目指して坂道を上る。城塞の頂上には紀元前15世紀の宮殿跡がある。案内板によれば、中央にはメガロンと呼ばれる玉座の間があった。アガメムノンが妻に暗殺されたという神話の残る浴室跡や、円形の炉と4本の支柱などが残っている。丘の上からはアルゴス平野を広々と見渡すことができる。

ガイドさんによると、前方の山々のスカイラインが「黄金のマスク」の横顔とシンクロしているということだ

ミケーネ遺跡の魅力は、ギリシア神話とシュリーマンの発掘の物語のふたつが結びついていることにあると思う。ミケーネは、紀元前15世紀から12世紀にかけて東地中海の覇権を握り、古代ギリシア文明の発展に重要な役割を果たした。その歴史はホメロスの叙事詩−イーリアスとオデッセイ−に分かち難くつながっていて、3000年以上にわたってヨーロッパの美術と文学に大きな影響を与えた。そして、シュリーマンの物語は子ども時代の夢を追い続けた男のロマンであり、この発見が神話の世界をリアルな歴史に塗り替えたのだ。

【コラム】アトレウスの宝庫

ミケーネ遺跡の中で、見逃してはならないのが「アトレウスの宝庫」だ。現存するミケーネ時代の建造物の中でも最大規模で、ミケーネ文明独特の石積み技術の形をとどめている。ミケーネ遺跡の中心部はいわゆる古代の城塞都市の遺構であって、保存状態のよい建造物は残っていないので、ミケーネ時代の建築技術の高さを知るには必見の遺跡なのだ。
アトレウスの宝庫は紀元前1300年ごろに造営された墳墓で、円形墓地Aの時代からはさらに150-200年ほど新しい。従来の竪穴式の墳墓からトロス式(蜂の巣型)という石積みの建築様式を用いている。石室は直径14.5m、高さ13.4mで32層もの石が円錐状に積み上げられ、その形が蜂の巣に似ていることからトロス式(蜂の巣型)墳墓と命名された。

アトレウスの宝庫の入口。ミケーネ遺跡の本体とは少し離れたところにあるので(遺跡の入口から500mほど南。ミケーネ遺跡の駐車場に向ってくると「手前」になる)見逃さないように

中に入ってドームを見上げると、その規模の大きさを実感できるだろう

この遺跡は「お墓」のはずなのに、どうして「宝庫」と呼ばれているのだろう?
実は「アトレウスの宝庫」はシュリーマンの発掘以前からその存在が知られていた。しかし、もうすでに盗掘されており、何度か大規模な調査・発掘が行われたが副葬品はほとんど見つからなかったそうだ。にもかかわらず、ここが当時絶大な権力があった王家の墓であることは間違いなく、もし盗掘がなければ、シュリーマンが発掘した円形墳墓Aと同じかさらに豪華な副葬品が出土したはずだと考えられていたからだ。

−−そんな話を聞くとちょっと残念な気もする。
しかし、さまざまな民族が争い存亡を繰り返したギリシアの歴史を考えたとき、盗掘が行われたにもかかわらず、この墳墓は3,000年以上もの間崩壊せずに当時の姿を今に留めている。まさにその事実が「宝」なのではないかと思えてくる。






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地球の歩き方ガイドブック 編集部