デルフトの町を色にたとえるとしたら、青。デルフト焼のデルフト・ブルーだ。中国の磁器への憧れが生み出したデルフト焼きの青は、その後、ヨーロッパの最果ての地ポルトガルにも影響を与え、青色のアズレージョ(絵タイル)を流行させることになるものである。誰もが憧れ、求めて止まない色、そんなブルーに染まる町がデルフトではないだろうか。 そして、この町で生まれたもうひとつの印象的な青はウルトラマリンで彩色された『真珠の耳飾りの少女』のターバンの色。フェルメール・ブルーである。謎の多いフェルメールだが、生涯のほとんどを過ごしたデルフトの町には、画家の足跡が数多く残っている。

ヨハネス・フェルメール



ヨハネス・フェルメールは1632年にデルフトに生まれる。父親のライニール・ヤンスはカファ(サテンの一種)の織物職人であり、副業として美術商、宿屋を営んでいた。フェルメールが画家として活動した約20年間で残した作品は30数点。作品評価が高まるなか、彼の生涯や制作活動についての情報がほとんどなかったため、謎の多い画家として<デルフトのスフィンクス>と呼ばれた。当初は『ディアナと妖精たち』『マリアとマルタの家のキリスト』など、神話や聖書をテーマにした絵を描く画家として制作活動を開始したが、すぐに室内画へと方向転換を図る。ラピスラズリを原料にした高価な青い絵の具、ウルトラマリンを現存する作品の3分の2で使用している。彼の作品を特徴づける要素のひとつであり、特にフェルメール・ブルーと呼ばれる。

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