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ルーヴル美術館シュリー翼の半地下階には、「中世のルーヴル」という展示スペースがある。これは、ルーヴルの大改築のために発掘作業を行った際に出現したフィリップ・オーギュスト王(1165〜1223)の要塞跡だ。ルーヴルは美術館である前にまず要塞、そして宮殿としての歴史があることがわかるだろう。1200年頃、フィリップ・オーギュスト王は、セーヌ川下流のノルマンディーからイギリスが侵入してくることを恐れ、パリを囲む城壁の前に要塞を建造した。それがルーヴル宮の始まりだ。14世紀になると、ルーヴル宮の外側にひと回り大きい城壁が築かれたため、ルーヴル宮は防御のための要塞から王の城館へと役割を変える。当時の王シャルル5世は細密画などを収集し、王のコレクションを基礎にした美術館としての土台が固まった。
太陽王ルイ14世の統治下には、中世からの宮殿が消え、現在の形が完成する一歩手前まできていたが、王はヴェルサイユに宮廷を移し、ルーヴルは宮殿の役割を失う。同時に「絵画・彫刻アカデミー」が設置され、「芸術の国フランス」の基礎が作られていった。1793年8月10日、「共和国」となったフランスで、ルーヴルは美術館として再生する。20世紀末には当時の大統領ミッテランの「グラン・ルーヴル計画」による大改築が行われ、イオ・ミン・ペイ設計によるガラスのピラミッドが中庭に誕生。21世紀の現在もなお、世界最大の美術館として成長を続けている。