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リヴォリ通りを挟んでルーヴル宮の北にあるパレ・ロワイヤル。その歴史は、1632年に枢機卿リシュリューが、ル
イ13世の住んでいたルーヴル宮のそばに、自らの館を建設したことに始まる。1642年、リシュリューが亡くなり、彼の遺言から建物は王家に贈られ、その後、王宮(パレ・ロワイヤル)と呼ばれるようになった。ルイ13世の死後、王妃アンヌ・ドートリッシュは、5歳でフランス王に即位したルイ14世を連れてパレ・ロワイヤルに移り住む。しかし間もなく貴族が王室に反旗を翻すフロンドの乱が起こり、幼いルイ14世は命からがらパリを脱出することになっ
た。ルイ14世はこのときの恐怖体験からパリを嫌い、後にパリから離れたヴェルサイユに絶対王政の象徴である大宮殿を建設することになる。
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移ると、パレ・ロワイヤルはその弟オルレアン公フィリップに引き継がれる。その後、中庭を囲む回廊は商店街に改装され、レストランやカフェ、流行の商店が並ぶようになった。敷地内は警察の立ち入りが禁止されていたので、革命家や娼婦のたまり場ともなる。フランス革命の最初のデモ行進が出発したのもここからだった。現在のパレ・ロワイヤルは、そんな喧騒の歴史があったとは思えないほど静かな場所。木々の緑と花壇の花が美しく、ショッピングや観光の合間のひと休みにぴったりの落ち着いた空間だ。南側の中庭には、ダニエル・ビュレン作の白黒ストライプの円柱形のオブジェが並ぶ。