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セーヌ川の右岸からシテ島を眺めると、とんがり屋根の3つの塔をもつ、堅固な建物が目に入る。これがコンシェルジュリーだ。14世紀にフィリップ美貌王が建てさせたもので、王室管理府(コンシェルジュリー)がおかれていた。3つの塔は、右からボンベックの塔、銀の塔、シーザーの塔と呼ばれ、カペー王朝時代の名残が見られる。左端の四角の塔には、戸外に取りつけられたものとしてはパリ最古の公共の時計がある。フランス革命の様子を思い浮かべるのに、コンシェルジュリーほどふさわしい場所はない。1793年1月から1794年7月までの間に、2600名もの貴族や革命家たちがここに収容され、断頭台へと送られた。そのなかには、1793年10月16日に38歳の若さで断頭台の露と消えたマリー・アントワネット、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人、政治家ダントン、ジロンド党の花ロラン夫人がいた。