バスティーユ広場

更新日
2022年10月23日
公開日
2022年10月23日
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1789年7月14日、生活苦にあえいでいたパリの民衆は、王政を覆すために、ついに立ち上がった。目指すはバスティーユ監獄。襲撃は成功し、監獄は占拠された。フランス革命の発端となった事件だ。監獄は革命後解体され、現在の広場の中心には、1830年の7月革命で犠牲になった市民を追悼する7月革命記念柱Colonne de Juilletが建つ。フランス革命200周年記念前夜祭の1989年7月13日、バスティーユ広場の一角にオ ペ ラ・ バ スティーユOpéra Bastilleが誕生した。100年前に造られたオペラ座のパレ・ガルニエ(→P.115)とは対照的な、超モダンなデザイン。歴史的な町パリに新しい息吹を吹き込む大改造計画(グラン・プロジェ)のひとつだった。この新オペラ座を設計したのは、1983年の国際設計コンクールで選ばれたカナダ国籍のカルロス・オット。彼はオペラ座を大衆化させ、労働者の集
中する地区に、そのエネルギーに応えるべく、現代の素材であるガラス、メタルをふんだんに使った透明度の高い巨大な空間を誕生させた。新オペラ座の誕生後、バスティーユはパリの最先端を行く地区として変貌を遂げた。特に、昔の面影を残すラップ通りRue de Lappeと、前衛的な小劇場もあるロケット通りRue de la Roquetteは要チェック。家具職人のロフトを改造して住むアーティストも増えてきている。

写真

  • 完成から四半世紀を経て、すっかりパリの町並みに溶け込んだオペラ・バスティーユ
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