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左岸派のパリジャンたちにとっては心の灯台ともいえる教会。かつては濠と防塁に囲まれ、偉容を誇った大修道院だったが、その面影はもはやない。鐘楼の下の入口をくぐると内部は意外と明るい。ロマネスクの身廊の天井に交差するゴシック様式のリブ・ヴォールトは、17世紀になって付け加えられたもの。ただ、ここにはゴシックの教会がもつ、計算され尽くした数学的絶対美はなく、そのぶん人間的だ。ゴシックに比べて、ロマネスクは人間の生身の感情をもっている。その穏やかな小宇宙の中に、デカルトが眠っている。フランス合理主義の源流を作った彼の墓碑は、ベネディクト派の碩学、マビヨンと並んでいる。まさに、哲学の町にふさわしい。教会の起源は6世紀に遡る。メロヴィング朝の王クローヴィスの子、シルドベール王がスペイン遠征を行った際、サラゴサで殉教したサン・ヴァンサンの遺物を持ち帰り、パリ司教サン・ジェルマンがこれを納めるために建立したのが始まりだ。ちなみに、サン・ジェルマンは鐘楼の下に葬られた。8世紀以降、ベネディクト会の修道院として隆盛を極め、「黄金のサン・ジェルマン」と呼ばれたが、9世紀にノルマン人の侵攻を受けて荒廃する。再建工事は990年から行われた。1021年に仮鐘楼、身廊、側廊が完成。12世紀になると、修道僧の収容能力を上げるために拡張。1163年にいったん完成をみた。17世紀には、修道院は大拡張され、城壁、物見の塔、防塁、濠を備えて武装され、最盛期を迎える。しかし革命時には、かなりの部分を焼失し、1821年よりおよそ30年かけて修復がなされて今日にいたっている。