ペール・ラシェーズ墓地

更新日
2022年10月23日
公開日
2022年10月23日
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パリ最大の墓地。17世紀半ばには、ジュズイット(イエズス)会修道士の安息所だった。革命直前、修道士たちは追われ、1803年にパリ市当局に渡って墓地となる。ジュズイット会士でもあったルイ14世の聴聞告解師、神ペール父フランソワ・デクス・ド・ラ・シェーズの名が、そのまま墓地の名として残った。この墓地はパリ・コミューンの終焉の地でもある。世界最初の純粋共産主義政権といわれたパリ・コミューンは、1871年3月18日、モンマルトル砲台の大砲を市民が奪うことに始まる。そしてわずか2ヵ月後の5月28日、生き残ってこの墓地に立てこもったコミューン側市民147人の虐殺によって終わりを告げた。彼らが追い詰められ、次々と銃弾に倒れた墓地の壁は、コミューン兵士の壁Mur des Fédérésと名づけられ、左翼の人たちの巡礼地になっている。

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