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旧市街でもアウストリア(オーストリア)地区と呼ばれる閑静な地域、町の東西を結ぶ最も重要な交易路であったマヨール通りに面して、ビリャ広場はある。マドリードの正式名を「ビリャ・デ・マドリード」という。ビリャとは、中世に国王によって特権を認められた田舎町のことだ。首都となった今でも、市民は昔と変わらぬ愛情と誇りをもってこの町をビリャと呼んでいる。 広場の西面に建つのは、2007年まで市役所本部がおかれていた旧市庁舎。マヨール広場を造ったフアン・ゴメス・デ・モラによる端正な建物は、17世紀ハプスブルク朝時代を代表するものだ。宮殿のような内部には、ゴヤの傑作『マドリード寓意画』(→P.102)がある「ゴヤの広間」、16世紀の聖体顕置台が置かれた「クストーディアの間」などが今も残されている。 広場の南、旧市庁舎と渡り廊下でつながっているのは、市長公舎として使われていた16世紀のシスネロスの家。また東側には15世紀に建てられたムデハル様式のルハーネスの家がある。