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最後の残留ムーア人追放令が出された1609年の2年後、フェリペ3世とその妃マルガリータは、追放成功の暁には修道院を建てるという誓いを守り、フアン・ゴメス・デ・モラに命じ修道院を建立。王家の女性が修道尼となって暮らしていたため、王家から絵画や彫刻などが贈られ、美術品の宝庫となっている。 無数の造花で飾られた納骨殿は、床から天井までぎっしりガラスの遺骨箱が並べられている。両手のひらにすっぽり入ってしまいそうな、小さなキリスト像が目につく。火災で焼かれこの大きさに縮んでしまったのだという。 常に信仰と興味の対象となってきた「聖パンタレオンの血」も祀られている。ナポリの聖ジェナーノのものが世界的に有名だが、この3世紀の殉教者の凝血も年に一度液化する。毎年7月27日に起きる血の奇跡を見に大勢人が集まるが、不思議なことに大きな不幸や災難のある年は溶解しないという。現に第1次世界大戦の間は、この奇跡は起きなかったそうだ。