キーワードで検索
正式名はサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ聖堂Ermita deSan Antonio de laFlorida。マンサナーレス川のほとりに建つ双子の小さな聖堂だ。川を背に右側がゴヤのパンテオン(聖廟)で、サン・アントニオ・デ・パドゥアの奇跡を描いたゴヤのフレスコ画天井がある。殺人罪に問われる父の無罪を、民衆の見守るなか死人の口から語らせた、というリスボンでのできごとだ。人々に向かって身を乗り出している聖者の姿が見つかるだろうか。ここで描かれている天使も人々も、宗教画で見られるような型にはまったものではなく、ゴヤの素描画や版画に見られる18世紀末当時のマドリード市民だ。祭壇下にあるのが首のないゴヤの墓。骨相学研究のため、首を盗まれてしまったという。 長年の香煙やカンテラの熱にさらされてきたせいで傷みが激しく、20世紀に入ってから、礼拝のために同じ姿の聖堂が隣に建てられた。6月13日、未婚女性や縫い子の守護聖人であるサン・アントニオの祭りの日、恋人のいない娘たちが待ち針を手にお参りにやってくる。早くいい人が見つかるように、片想いの恋が実るようにと熱い思いを込めながら、持ってきた針をお清めの水の中に納めていく。16世紀から続くマドリードらしいお祭りだ。聖堂の墓地には、ナポレオン戦争で銃殺された市民の墓がある。この処刑シーンはゴヤの『1808年5月3日』に描かれている。