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フェリペ2世は、1557年のサン・キンティンの戦いでフランス軍に勝利したことを記念し、修道院の建設に着手。勝利をおさめた8月10日が聖ロレンソの日だったことから、修道院はこの聖人にささげられた。建物の平面図が巨大な焼き網形になっているのは、聖人が焼き網の上で殉教したことによる。1563年にフアン・バウティスタ・デ・トレド(ローマのサン・ピエトロ大聖堂の次席建築家)によって建設が始められ、その死後は弟子のフアン・デ・エレーラに引き継がれ1584年に完成。その同じ年、日本の天正少年使節はこの宮殿に3日滞在している。 南北207m、東西161m。バシリカを中心にして中庭を回廊のように巡らした建物は、王宮、修道院、王家の霊廟であり、さらに大図書館をも含む、政治・宗教・文化が一体となった複合施設といえる。スペイン・ルネッサンスを代表するエレーラ様式の建物は、装飾的要素を一切排除し、フェリペ2世が理想とした「単純な形式にして気品と威厳に満ちた」姿を見せている。