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埔里の北東約20km、霧社は日本人には霧社事件で知られる町。霧社事件とは、1930(昭和5)年10月27日、モーナルーダオをリーダーとする周辺のセディック族6社が運動会中の日本人を襲った事件。原住民の伝統や文化を無視した日本の植民地統治に対する爆発的な抵抗闘争であったといえる。事件は日本軍も出動し、村がほぼ全滅する悲劇的結果に終わった。霧社事件は近年台湾の魏徳聖監督により『セデック・バレ』のタイトルで映画化され、話題を集めた。現在の霧社は、1本のメインストリートにおもな施設が集まった、のどかな山あいの町となっている。バス停から埔里方向に2分ほど歩いた所に、霧社事件紀念公園がある。鬱蒼と木々が生い茂る園内にモーナルーダオの立像と墓があり、蜂起に参加した人々の姿を銅像にした記念碑がある。さらに約5分歩いた所に台湾電力の敷地がある。ここが惨劇の現場となった霧社公学校があった場所だ。さらに少し先に仁愛郷清潔隊があるが、この建物の横の階段を上ったあたりに、事件で犠牲になった人々の墓とされた記念碑があった。日本統治終了後、記念碑は撤去されている。霧社のメインストリートの消防署横の坂を上ると、中国風に衡こう門もんの形をした赤い鳥居がある。ここはかっての武德殿(後の霧ヶ岡神社)跡。現在は德龍宮という廟になっている。