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日本統治時代、台湾初の官製移民村がこの地に設けられ、四国徳島の吉野川周辺から人々が移り住んで吉野村と名づけられた。人々の拠り所として1917年に創建されたのが、吉安慶修院の前身となる真言宗「吉野布教所」である。不動明王と弘法大師を祀り、とがった宝形造の屋根をもつ江戸風の建築で、当時は布教のほか医療所、現地住民への日本語教育の場としても使われた。日本人移民が去った後、吉野村は吉安鄉と改名され、吉野布教所も吉安慶修院となった。1997年に県の古蹟に指定後、修復されて、昔の姿を今に伝えている。境内には四国八十八カ所を表す石仏が置かれている。吉野村の歴史を刻んだ写真なども展示されている。