旧豐田村、旧林田村

更新日
2023年1月20日
公開日
2023年1月20日
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台湾東部を訪れると日本にもありそうな地名が多く、不思議に思われた方も多いのではないだろうか? 早くから大陸から漢人が入植した台湾西部に比べ、台湾東部はほとんど未開のままだった。そこに初めて土地を開墾し、村落を築いたのが日本からの移民であった。そうした移民村は多くの場合地名にその名残をとどめるのみだが、花蓮に近いこの地域には比較的多くその痕跡が残っている。旧豐田村は現在は豐裡と名を変えたが、駅名は今も豐田のままだ。豐田駅前から延びる中山路を15分ほど直進し、忠孝街で左折すると豐田文史館がある。ここにレンタサイクルがあるので利用するといいだろう。中山路をさらに直進すると右側に鳥居がある。この旧参道の先に戦前は豐田神社があった。現在そこには中国風の碧蓮寺が立っているが、碑文や狛犬、ご本尊であった不動明王などが現在も保存されている。中山路をさらに進むと、かつて日本人の学校だった豐裡國小がある。その少し手前、道の右側の282番地の家の脇の路地を入ると日本人墓地の跡があり、ふたつの墓石と記念碑が今も残ってる。旧林田村は今は鳳林鎮となった。台鐵鳳林駅を出てふたつ目の道、中美街を左折するとすぐレンタサイクル店があるので利用しよう。旧林田村の範囲は広く、徒歩では回れない。客家文物館がある中和路を自転車で5分ほど走ると、道のほぼ突き当たりで復興路と交差する。左折して3分ほど走ると旧林田神社が現れる。立派に再建された鳥居の先に、旧神社の階段と土台だけが残っている。このあたりが第二村と呼ばれた日本人移民村の中心で、旧警察庁、日式宿舎などの日本式建築が残っている。またここには栽培されたたばこの葉をいぶした菸樓という特殊な建築が数軒残っている。途中の中和路に道筋を示す案内板があり、復興路沿いにも菸樓が見られる。

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