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1665年から12年かけてタイ、クメール、ヨーロッパの折衷様式で建設された宮殿の跡。中心になるのはピマーン・モンクット宮殿Phiman Mongkut Pavilionで、ラーマ4世が1856年に建てたもの。
ラーマ4世の遺品、クメール美術品、アユタヤー王朝時代のロッブリーの仏像などの美術品が年代順に展示された博物館になっている。隣にある白亜の純タイ式建物は、チャンタラ・ピサーン宮殿Chantara Phisan Pavilion。1655年にナーラーイ王の住居として建てられたもので、ナーラーイ王時代の国際貿易、特にフランスとの関係を示す展示が興味深い。ピマーン・モンクット宮殿を挟んでチャンタラ・ピサーン宮殿の反対側にあるのがドゥシット・サワン・ターニャ・マハー・プラーサート・ホールDusit Sawan Thanya Maha Prasat Hall。これはナーラーイ王に外国の大使らが謁見するために建てられたもの。フランス式ドーム型の窓とタイ式方形の窓の折衷様式だったが、現在は崩れている。
これらの建物があるブロックの南には、スッタ・サワン宮殿Suttha Sawan Pavilionと呼ばれるナーラーイ王の住居跡も残っている。
ロッブリーの町なかや寺院ではサルが自由に徘徊している。彼らは食べ物を見ると飛びかかってくることがあるので気をつけること。