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テンプル騎士団のロンドン本部がここにあったことからついた名称で、現在ではこの一帯の地区名にもなっている。
インナー・テンプル・ゲートウェイをくぐると、ロマネスクとゴシック両方の様式が混在したテンプル教会に出る。テンプル騎士団の頃の建物としては唯一のもので、騎士団発祥の地エルサレムの聖墳墓教会をモデルにしている。17 世紀末に作られた祭壇後部の壁の彫刻は、クリストファー・レンがデザインし、ウィリアム・エメットが当時45 ポンドで彫ったという。はて、高かったのか、安かったのか……。教会を出るとあるインナー・テンプル・ホールや宝物室、図書室などは17 世紀に再建されたもの。
広々とした庭インナー・テンプル・ガーデンを歩きながらテムズ河を眺めることができる。シェイクスピアの『リチャード3 世』の背景にもなったイギリスの内乱「バラ戦争」は、ランカスター家のシンボルである赤いバラとヨーク家のシンボルである白いバラがこの庭で摘まれたことが発端といわれている。
インナー・テンプルの隣がミドル・テンプル。ミドル・テンプル・ホールにある樫の木で造られた彫刻や内装は、落ち着きがあるたたずまい。また、当時の学生たちは、授業や寝食のすべてを、30 ×12mの大ホールで行っていたのだそう。ロケ地にもなったテンプル教会。