モンマルトルの丘

更新日
2022年12月23日
公開日
2022年12月21日
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人々を魅了する理由を探してモンマルトル散策

小高い丘がひとつの地区になったモンマルトル。ノスタルジックなパリが詰まった「パリの中の小さな村」ともいわれている。丘の上に白亜のサクレ・クール聖堂をいただき、入り組んだ路地裏にはカフェやパティスリー、雑貨店などが点在し散策にぴったりの界隈です。高低差のあるモンマルトル観光で重宝するのがフニクレール(ケーブルカー)。丘の頂上にあるサクレ・クール聖堂前と丘の麓を結んでいます。

サクレ・クール聖堂から眺めるパリの風景。歴史を感じさせる石造りの町並み、その中から顔をのぞかせる高層ビル。ここからは、「歴史あるパリ」と「進化を続けるパリ」の両方が手に取るようにわかる
サクレ・クール聖堂まで、行きはケーブルカー(フニクレールFuniculaire)が楽。(メトロの切符Tickett+、パス・ナヴィゴ・デクーヴェルト使用可)。帰りは徒歩がおすすめ

どこまでも懐深く画家たちを育んだ丘

モンマルトルは、多くの芸術家に愛された場所でもある。19世紀半ば、家賃の安いモンマルトルに住んだ芸術家のなかには、ピカソやゴッホもいた。彼らが制作に励んだアトリエ「洗濯船Le Bateau-Lavoir」は焼失してしまったが、ルノワールの作品の舞台となったダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットMoulin de la Galette」の風車は今も残る。木漏れ日の下、夢見心地で踊る女性たちを思い浮かべながら歩きたい。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の名を冠したレストラン

芸術家たちが通ったシャンソニエ「オ・ラパン・アジル」、ゴッホが『モンマルトルのガンゲット』で庭を描いたレストラン「オーベルジュ・ド・ラ・ボンヌ・フランケットAuberge de la Bonne Franquette」、ユトリロが描いた「コタン小路Passage Cottin」、さらに、ピカソのアトリエやゴッホと弟テオが住んだアパートなど、モンマルトルが芸術の町だった頃をしのばせる場所を探してみるのもいい。

ユトリロやピカソも常連だった老舗のシャンソニエ「オ・ラパン・アジル」
マティス、ドガ、モディリアニ、アポリネールらが暮らしていた共同アトリエ「洗濯船」跡。ピカソがキュビスムを告知する記念碑的作品『アヴィニョンの娘たち』を制作した場所だ。当時の木造アパートは1970年に焼失し、現存しない
テルトル広場では自分の絵を売る画家の姿も。何気ない風景が絵になるモンマルトル

映画のワンシーンのようなモンマルトルの素顔に触れるなら

映画『アメリ』の舞台としても人気スポットになったモンマルトルの丘

2001年に公開された映画『アメリ』が大ヒットを記録すると、舞台となったモンマルトルはさらなるにぎわいに。ロケ地となった「カフェ・デ・ドゥー・ムーラン」や、八百屋「オ・マルシェ・ド・ラ・ビュット」もいまやモンマルトルの名所となっている。カフェのあるルピック通り界隈は、サクレ・クール聖堂周辺と違って観光客も少なく、庶民的な商店街の雰囲気をたっぷり味わえる。

『アメリ』のロケ地巡りのハイライトは<a href="https://www.arukikata.co.jp/web/directory/item/103142/" target="_blank">「カフェ・デ・ドゥー・ムーラン」</a>
コリニョンの八百屋は実在する!「オ・マルシェ・ド・ラ・ビュットAuMarchédelaButte」
アメリが映画を観ていた映画館がここ。<a href="https://www.arukikata.co.jp/web/directory/item/101917/" target="_blank">「シネマ・ステュディオ・ヴァンテュイット」</a>は1928年オープンの、パリ最古の映画館のひとつ

写真

  • サクレ・クール聖堂のドームに上がれば、素晴らしい眺望が楽しめる
  • モンマルトルにはこんな風情ある階段や坂道がいたるところにある
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