サン・ロレンツォ教会 (フィレンツェ)

更新日
2023年8月3日
公開日
2023年6月6日
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  • 歴代メディチ家の菩提寺。
  • 目立つことを忌み嫌ったというメディチ家ではあるが、当時の富と権力を結集しドナテッロ、ブルネッレスキ、ミケランジェロと傑出した芸術家を起用。意匠の凝らされた内部は実に見事だ。
  • 内部に反し、石積みの簡素なファサードは未完成。

見どころ

ブルネッレスキのプランの特徴がみられる、サン・ロレンツォ教会とメディチ家礼拝堂(クーポラの部分)

ブルネッレスキの設計で13世紀の半ばに再建された、フィレンツェでも最初のルネッサンス建築のひとつである。創建は4世紀、聖アンブロシウスによって献堂式が行われた、由緒ある教会でもある。再建には地区の資産家たちが費用を援助し、メディチ家もそのなかにいた。このとき、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(コジモ・イル・ヴェッキオの父)は聖具室と礼拝堂ひとつをブルネッレスキの設計で寄進している。その後、ルッカとの戦争で中断した聖堂の工事はコジモの全面的な財政援助で再開。こうしてサン・ロレンツォ教会とメディチ家のつながりが強まることになった。ブルネッレスキの死後、工事はA.マネッティに引き継がれて1460年に完成したが、現在見られる粗いれんが積みのファサードはその後G.ダ・サンガッロやミケランジェロによってプランが出されたにもかかわらず、結局未完成のままに残った。

3廊式の優美な内部

内部は3廊式で、細身の優雅な円柱とアーチで仕切られ、左右の側廊には礼拝堂が並んでいる。天井には格間がはめられ、ゴシック期の垂直性は影をひそめ、フレスコ画などによる伝統的な壁面装飾も姿を消して、新しい建築空間の到来を実感させる。身廊の主祭壇寄りには左右にふたつのブロンズの説教壇Pulpitiが見られる。1460年代に作られたドナテッロの最後の作品だ。右側廊のふたつ目の礼拝堂にはマニエリズム期のR.フィオレンティーノの『マリアの結婚』Sposalizio della Vergineが描かれている。主祭壇前の床には数種類の石でメディチ家の紋章(A.ヴェロッキオ作)が描かれ、コジモ・イル・ヴェッキオの墓の位置を示す銘板には“Pater Patriae(祖国の父)”の文字が読み取れる。

フィオレンティーノ作『マリアの結婚』
ドナテッロ作『説教壇』

左の翼廊からは旧聖具室Sagrestia Vecchiaに行くことができる。ブルネッレスキの設計で、初めて正方形のプランが試みられた。円蓋の下の4隅のペンデンティブにはめられたメダイヨンや青銅の扉の上のタンパンの装飾などにあたったのはドナテッロである。入口を入って左側にはヴェロッキオの代表作といえる『ジョヴァンニとピエロ・デ・メディチの棺』Monumento Funebre a Giovanni e Piero de' Mediciが見られる。なお、左翼廊手前のマルテッリ礼拝堂にはフィリッポ・リッピによる『受胎告知』Annunciazione(1437年頃)もある。

ブルネッレスキの設計で、ドナテッロの装飾の旧聖具室の天井が美しい

聖堂の左脇にはA.マネッティが設計した回廊(1475年)があって、一角からミケランジェロが設計した(1524年)ラウレンツィアーナ図書館Biblioteca Laurenzianaへ上がることができる。メディチ家出身の法王クレメンス7世が一族の蔵書を1ヵ所に集めるために造らせたもので、完成したのは1571年のことである。控えの間には水の流れを表現したといわれる見事な階段があって、すでにバロックの始まりが見てとれる。閲覧室は簡素な造りだが、天井や書見台などもミケランジェロの設計による物だ。展示されている書籍はいずれも貴重な古写本や装飾本などである。

ラウレンツィアーナ図書館
図書館の窓を飾るステンドグラス

ドゥオーモからの行き方

洗礼堂とドゥオーモの間から北へ延びるマルテッリ通りVia de' Martelliを進もう。この通りにはピッツェリアやバ
ールなどが並び、人通りが多い。通りの終わり左側にはイエズス会の修道院と教会が並ぶ。これを左に折れれば間もなく左側にサン・ロレンツォ教会だ。入口は手前の階段を上がった所。角を曲がったあたりから、観光客相手に革製品や衣料品、みやげ物を売る露店がギッシリと並ぶ。サン・ロレンツォ教会とメディチ家礼拝堂は建物では続いているが入口は別。教会に沿って道を進むと、後ろ側に礼拝堂入口がある。

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