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1444年、コジモ・デ・メディチの依頼でミケロッツォが設計したもので、もとはほぼ正方形のプランで、東南の角にはロッジアが設けられていた。16世紀の前半にはミケランジェロによってロッジアがふさがれ、その後リッカルディ家の所有(16世紀後半)となると、現在のカヴール通りに面した部分が大きく延長された。3層の壁面は上に行くに従って軽快になる。1階の壁面から張り出した窓枠は、後にマニエリズムの建築で繰り返し用いられた。中に入ると柱廊で囲まれた優雅な中庭があり、外観の武骨ともいえる厳しい印象とは対照的だ。右側の階段から2階に上るとB.ゴッツォリのフレスコ画『ベツレヘムに向かう東方の三賢王』(1459~60年)で知られた礼拝堂Cappella dei Magiを訪れることができる。絢爛豪華な行列にはメディチ家の人々(白馬にまたがり、こちらに目をやるロレンツォは、実物とは違って理想化された美青年に描かれている)をはじめ、1439年の公会議でフィレンツェを訪れた東方の要人たちの肖像も描かれている。
さらに進むと、17世紀後期のフィレンツェ・バロック様式の華やかな「鏡の間」Galleria degli Specchi。天井にはルカ・ジョルダーノによる『メディチ一族の寓話』L'apologia della Famiglia Mediciが描かれている。さらに「カルロ8世の間」Sala Carlo Ⅷ、「ソンニーノの間」Sala Sonninoと続き、ここにはフィリッポ・リッピ晩年の『聖母子』Madonna col Bambinoがある。