キーワードで検索
ロンバルディア地方のウミリアーティ会の聖堂として13世紀半ばに建てられたが、17~18世紀には大幅に手直しされて、フィレンツェで最初のバロックのファサード(M.ニジェッティによる)が取り付けられた。ロッビア風の彩色テラコッタ『聖母戴冠』(16世紀初頭)は以前のファサードを飾っていた物だ。一方、鐘楼は創建当時のままに残されている。内部の「ヴェスプッチ家の礼拝堂」(後に新大陸を発見するアメリゴが出た家系)には、聖母がこの一族をマントの下に庇護するようなギルランダイオの『慈愛の聖母』が見られる。また、右翼廊にはボッティチェッリの墓がある。聖堂左の扉からはかつての修道院の食堂を訪れることができる。突き当たりの壁面には後にダ・ヴィンチに影響を与えたといわれる、ギルランダイオの『最後の晩餐』Ultima Cenaが残っている。同室にはギルランダイオとボッティチェッリの競作による『聖ヒエロニムス』S.Girolamo(右)と『聖アウグスティヌス』S.Agostino(左)も見られる。いずれもヴェスプッチ家の依頼によるもので、かつては本堂にあったが16世紀の改築の際に剥がされてここに移された。