ワイメア(パーカー・ランチ)

更新日
2023年10月1日
公開日
2023年10月1日
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際限なく広がる草の海

ハワイ島第3の町・ワイメア(別名カムエラ)は、東京23区の約1.5倍という規模のパーカー・ランチ(牧場)を中心になり立っているパニオロ(ハワイ語でカウボーイの意味)・カントリー。
19号線クイーン・カアフマヌ・ハイウエイを北上し、カワイハエの集落を右折すると、同じ19号線ながらカワイハエ・ロードと名前を変える。緩やかに波打った上り坂の両側には、牧草地が際限なく広がり、牛がのんびりと草を食む姿が点在している。特に看板があるわけではないが、そこはすでにアメリカでも屈指の規模を誇ったパーカー・ランチの一画なのである。そして、その巨大な牧場とともに発展してきた町、ワイメアまでは数マイルだ。

パーカー牧場の歴史

パーカー牧場の創始者は1815年に25歳でマサチューセッツからハワイに来たジョン・パーマー・パーカー。カメハメハ大王と親しくなり、後に大王の孫娘レイチェル・キピカネと結婚。1848年、58歳にしてジョン・パーカーは、それまでリースしていた2エーカー(約8100m2)の土地を、$10くらいで購入したという。王家出身の妻は640エーカー(約2.59km2)の土地を与えられた。これがパーカー牧場の始まりだ。ひとりの名のない船乗りが南の島を訪れ、島の王女と恋に落ち、やがて牧場経営者として大成功を収めるというこのサクセスストーリーは、まさにアメリカンドリームの典型といえるかもしれない。なお、その頃、ハワイ島では欧州から持ち込まれた牛や羊などの家畜が野生化し、島民の耕地を荒らした。この家畜の収拾にあたり、パーカー・ランチの働き手になったのが、19世紀初めに移民してきたスペイン系のカウボーイたち。馬を操って見事に牛を誘導する仕事を初めて見たハワイ人にとって、それ以来カウボーイといえばエスパニョール(スペイン人)を意味し、エスパニョールという名称がハワイ風になまって「パニオロ」と呼ばれるようになったという。
ジョン・パーマー・パーカーは1992年に亡くなり、現在では牧場とともに発展してきたワイメアのためにヘルスケア、教育、慈善事業を目的とするパーカー・ランチ・ファウンデーション・トラストという団体に運営が託されている。

ワイメアの中心部を巡る

ワイメアの町はカワイハエ・ロードとママラホア・ハイウエイが交差した付近が中心部。まずはレストランやスーパーなどが入るパーカー・ランチ・センターやワイメア・センターへ足を運ぶといい。また最近では特にグルメで洗練された飲食店が充実しており、ここでしか食べられない美食を求め多くの観光客やローカルでにぎわっている。

写真

  • フードコートがあるパーカー・ランチ・センター
  • ハワイ島屈指の本格和食がいただけるモア・キッチン。ランチは特ににぎわう
  • 19号線のカワイハエ・ロード。野生のヤギなどが車道の脇を歩いていることもあるので走行には注意
  • パーカー・ランチ・センターにはハワイ発のスーパー、フードランドが入る
  • ワイメアのパニオロ。ちなみにカウガールはパニオラと呼ばれる
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