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見上げるばかりの急な階段の先、白と黒の縞模様とアーチ、上部の輝くばかりのモザイク画、マヨルカ焼の鐘楼のクーポラが美しい調和を見せる。町の守護聖人である聖アンドレアにささげられた大聖堂で、10世紀頃に創建され、その後たびたび改修が施され、現在見られるのは18世紀のバロック様式。
ブロンズ製の正面扉はコンスタンティノープルで鋳造された物で1065年に取り付けられた。当時のアマルフィの覇権と経済力を示している。
階段を上がったドゥオーモの正面左から入る。1266~1268年に建設されたアマルフィの貴族たちの墓地。2本の柱が対になり120本もの柱が交差したアラブ様式の空間が広がり、その内側の地中海風庭園が緑を添えている。静謐
で印象的な空間だ。通廊部分にはギリシア彫刻家による2世紀頃の石棺、モザイクで飾られたビザンチン様式の説教壇などが並ぶ。
「天国の回廊」の右側から続いている。1100年に現在の大聖堂が建てられたため付属教会となり、その後の改修工事で階上に尖塔アーチの窓のついたビザンチン様式の歩廊をもつ中世の様式に戻された。アマルフィ共和国の富と繁栄を示す、数々の聖具、聖遺物箱、宝石で飾られた司教の胸飾り、銀の祭壇飾りなどを展示。
大聖堂に入ってすぐの階段を下る。17世紀にスペイン王によって修復された豪華で重厚なバロック様式の空間。きらびやかに装飾された交差ヴォールトの下、大理石で飾られた中央祭壇はドメニコ・フォンターナの手によるもので巨大な聖アンドレア像はミケランジェロの弟子のナッケリーノ・ミケランジェロによる。聖アンドレアはイエスのはじめての信徒でパトラスでの殉教の後、遺骸はここに運ばれた。頭部は祭壇の後ろ、その他の骨は祭壇下(非公開)に収められている。アマルフィの人々にとって信仰のよりどころだ。