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グヌン・カウィは「古代詩の山」を意味している。タンパシリンの北の外れ、岩山に彫られた11世紀の遺跡で、ワルマデワ王朝第6代アナック・ウンス王家の陵墓として造られたとするのが定説だ。しかし、実際に墓として使われたわけではなく、亡くなった王や妻たちが死から解放され、再び偉人として復活することを願った記念碑とされている。
入口から数百段にも及ぶ長い石段を下りていく。ライステラスの中を渓谷の底に向かって下りていくといった感じだ。しばらく進むとパクリサン川の両側、山の岩肌に彫られた高さ7mのチャンディ(記念碑)が見えてくる。岩をえぐり貫き、門のようになった最後の石段を抜けると、まず左側岩肌に王妃の陵墓。アナック・ウンス王の4人の妃のチャンディが並んでいる。チャンディは岩の表面を切り出し、あたかも1個の建造物のように仕上げられている(この様式は、世界的に有名なインドのアジャンタやエローラ石窟に見られる)。グヌン・カウィは、当時、インドの影響が広くインドネシアに伝わっていたことを示す貴重な遺跡でもある。
パクリサン川に架かる小さな橋を渡った先が王家の陵墓。王妃の陵墓同様に5基のチャンディが並んでおり、向かって左側がひとつだけ大きくなっている。これは、アナック・ウンス王の父、ワルマデワ王朝第4代ダルマウダヤナ王を祀ったもの。また、王家の陵墓の隣や周辺には修行庵も残っている。これらは陵墓が造られた後、仏教僧によって造られたものだ。