キーワードで検索
さて、先週までペルージャに滞在していましたが、先日ローマに戻って来ました。
ペルージャは約3年過ごした場所でもある為、色々思い出もあり感慨深い町です。
今回の滞在はペルージャの友人宅だったのですが、最も驚いたことは友人宅(ペルージャ人)の2室が日本風の畳部屋に改装されていたことです!
部屋には日本の畳だけではなく、"Futon (布団)"もあり、イタリアにいながらとてもリラックスできる空間を提供してくれたのですが、珍しさに興奮(感動も)してしまい逆に眠れませんでした。
ペルージャ滞在中に1日、ペルージャの隣町のアッシジ(Assisi)を訪れました。ペルージャやアッシジがあるウンブリア州は、イタリア半島のちょうど真ん中に位置し"イタリアの緑のハート"と呼ばれる、丘陵地帯に緑や自然が溢れる大変美しい州です。
この地方(特にペルージャとアッシジ)を旅行する場合の注意点ですが、冬はとても寒くなるので防寒対策をとにかくしっかりと!とお伝えしたいと思います。マイナス7~8度になる日もあり、マフラー、手袋の他にも毛糸の帽子、厚手の靴下などもお持ちになるとより良いと思います。
今日はアッシジの中心部の観光スポットのご紹介ではなく、少しマイナーな、町から約4km離れたカルチェリの庵(Eremo delle Carceri)をご紹介したいと思います!
↑ アッシジの西側の方向に、ウンブリア州の州都で人口約16万人のペルージャがあります。
↑ カルチェリの庵の入口付近から見た風景です。庵はスバズィオ山(標高1290m)の山腹にあります。
↑ カルチェリの庵の入口です。
イタリアという国全体の守護聖人でもある、アッシジの聖フランチェスコは1181年頃アッシジで生まれました。彼はフランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者でもあります。イタリアで最も有名な聖人といってもいいかもしれません。
↑ 今回ご紹介するカルチェリの庵は"サン・フランチェスコ聖堂とその他のフランチェスコ会ゆかりの地"として世界遺産に登録されています。聖フランチェスコは1226年に亡くなりますが、後の14世紀にシエナの聖ベルナルドが、フランチェスコが祈りを捧げたり、瞑想していた場所(洞窟など)の跡に教会や礼拝堂などを建てました。
カルチェリの庵の敷地内に入ると、聖フランチェスコが修行を積んでいた8世紀前と変わらず、緑に溢れていました。
↑ 写真中央に見えるのは、聖フランチェスコが瞑想をしていた洞窟の前にある、聖フランチェスコが生きていた時代から存在しているトキワガシの木だそうです。(老木なので支柱で支えられています)
カルチェリの庵の敷地内には僧院が建ち、聖フランチェスコが横たわって瞑想した洞窟などが残っています。内部の礼拝堂や教会は写真撮影が禁止の為、今回は主に自然の写真をお届けしたいと思います。
写真をご覧になりたい方はこちら (カルチェリの庵公式サイト – イタリア語)のリンクを参考にどうぞ。
↑ 自然の中には洞窟がいくつもあり、大昔の初期キリスト教時代より修道士達により修行の場として使われて来ました。今日でもここに来て心を落ち着けたり、瞑想する人が多くいます。
↑ 今の時期は、山中は咲き誇るシクラメンでいっぱいでした。
↑ 聖フランチェスコが祈りを捧げていた場所にやって来ました。
↑ 聖フランチェスコが祈りを捧げていた場所には、今日では十字架が建てられています。このカルチェリの庵の中でも最も神聖な場所です。
↑ 修道士達は全身全霊で祈りを捧げていたのでしょうか。
↑ ローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の前にある、聖フランチェスコの像です。
44歳で生涯を閉じたフランチェスコ。大きく手を広げて、大聖堂に向かって祈っています。この像はトンニーニ(Giuseppe Tonnini)によりフランチェスコの死後700年を記念して1927年に建てられました。
アッシジの町は小さく美しく、高台にある為にウンブリア州の絶景が目前に広がり、本当に何度も行きたいと思ってしまう魅力に溢れています。お時間があれば是非訪れてみて下さい。ローマからも日帰りが可能です。
インフォメーション:
名称 カルチェリの庵 (Eremo delle Carceri)
住所 Eremo delle Carceri di S. Francesco, Assisi (PG)
* アッシジのカプチーニ門(Porta Cappuccini)から東に約4kmで徒歩約1時間。タクシーでは15分前後。
オープン時間 夏季は6時30分~19時、冬季は6時30分~18時まで(日曜・祝日は7時から)。僧院は8時30分からのオープンの為、お奨めの訪問時間は8時30分~18時30分(夏季)または17時30分(冬季)頃まで。
休日 なし
入場料 無料
電話番号 075-812301