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日本人の寄付により修復工事完了!!真っ白に生まれ変わったローマのピラミッド

阿部 美寿穂

阿部 美寿穂

イタリア特派員

更新日
2015年3月31日
公開日
2015年3月31日
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実はローマにもエジプトのようにピラミッドがあります!

ローマのピラミッドは、その名もピラミッド駅(イタリア語でピラミデ駅-地下鉄B線)のターミナルの前にひょっこりと建っていて、以前は周囲に溶け込んでしまいそうな薄汚れた色(ねずみ色)だった為、気付かず通り過ぎてしまった方も多くいらっしゃるかと思います。

こちらでももう何度も書いていますが、この灰色のピラミッドは夜間のライトアップが大層不気味で怖かった為、なるべく近付かないようにしていました。

ところが修復・清掃工事が終了し、ピカピカと輝く真っ白なピラミッドに生まれ変わりました。

あまりにも真っ白な為、おもちゃのピラミッドの様ですらあります。

↑ 修復・清掃工事が終わって真っ白に生まれ変わったピラミッド!もうそれ程怖くありません!(2017年3月下旬撮影)

このピラミッドはローマに現存する最後のピラミッドです。

2000年以上の時が流れて汚れてしまった為、近年、ピラミッド表面の清掃作業や修復工事が行われていました。

修復作業にかかる費用を寄付したのは、大阪に本社がある八木通商株式会社の代表取締役 八木雄三氏です。

八木氏は2010年にローマを訪れた際、このピラミッドに惚れ込み、100万ユーロ(約1億円)の寄付により修復作業の支援をすることを決意しました。(Corriere della Sera, 14.marzo 2013)

↑ Google Mapでは、現在でもこの修復工事中に撮影された画像しか見ることができません。(Google Mapアクセス日:2015年3月30日)修復工事中の為、足場で取り囲まれているのが見えます。

↑ かわいいのは(?)、ピラミッドの頂点部分まできっちりとカバーが掛けられています。(一つ前の写真もご覧下さい)

ピラミッドは古代ローマ時代の執政官ガイウス ケスティウス・エプロにより、自身のお墓の為に紀元前18~12年の間に建設されました。高さ36.40m、基底部の一辺は29.50mあります。

こちらの写真が、2012年暮れに修復・清掃工事に入る前のピラミッドです。汚れなどで、まだらなねずみ色をしていました。

以前2013年7月に修復中に書いたピラミッドの記事とも多少説明は被りますが、ピラミッドは、ローマ軍が紀元前31年に、クレオパトラ率いるエジプト艦隊をアクティウム沖(ギリシア北方)で破りエジプトを征服すると、エジプト風に習ってピラミッドを自分のお墓とするブームがローマにも巻き起こりました。

このブーム時にローマにもたくさんのピラミッドが作られましたが、時代の流れと共に壊され、このピラミッドが現存する最後のピラミッドとなってしまいました。

↑ ピラミッドは271~275年になると、ローマ皇帝 アウレリアヌスが建てたローマの町を取り囲む周囲19kmの防御用の壁(アウレリアヌスの城壁)に取り込まれます。

写真でピラミッドの左側や右側に刺さっている様に見えるのは城壁です。この城壁に取り込まれたことによって今日まで残ったとも言えます。

↑ 下を歩く人を見ると、ピラミッドの大きさがわかります。

古代は地表部分はもっとずっと下の為、写真で見える柵の部分はピラミッドの底辺ではありません。

ピラミッドが良く見えるお奨めスポットはいくつかあります。

今回ご紹介するのは、イギリス人墓地(非カトリック教徒の墓地)の中から見る方法です。

ピラミッドのすぐ東南側にイギリス人墓地(Cimitero accatolico per gli Stranieri al Testaccio)があるのですが、墓地に入場します。(入場口はピラミッドから徒歩3分のVia Caio Cestio 6番地)

するとピラミッドの底辺まで割と近くで見ることができます。

↑ ゲーテの息子やローマで亡くなったイギリスの詩人キーツ、シェリーなども眠る非カトリック教徒の墓地の中からのピラミッド。

↑ ピラミッドの内部はレーザーや超音波を使って、もう何年も調査が行われていますが、まだ完全には解明されていません。

ピラミッドへの行き方は至極簡単で、ローマ中央駅テルミニ駅から地下鉄B線で僅か4駅、"ピラミッド駅"で下車します。

このピラミッドは正真正銘のピラミッドです。"えぇ~知りませんでした。ローマにもピラミッドがあったのですか?" と日本帰国後にお便りをいただくこともあります。

次回は是非ピラミッドを見にいらして下さいね!お待ちしております!

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