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今月のお題は "あったかエピソード" ですので、今回は実体験に基づいた記事を書いてみたいと思います。
特派員には毎月 "お題" というものがあります。
今月のテーマは、「"あったかエピソード"について、お住まいの国、都市でご自身が体験されたあったかいエピソード、思わず笑顔になってしまったというような体験をぜひ教えて下さい。」とありました。
あったかエピソードは、誰でも過去にいくつか体験していると思いますが、中々思い出せません。
もしかすると忘れてしまったのかもしれません。
しかし、良く考えると、日常の中にこそ小さな愛があるということに気づきます。大袈裟ではない、やさしい愛の形です。
大昔、ペルージャに住んでいた頃、右足を骨折したことがあります。
膝から足先まで、まるでホラー映画に出てくるような真っ白いギブスをつけられて、最低でも自宅で40日間、安静にしている様にとのことでした。
その当時、同じマンションをシェアしていた、イタリア南部のカラブリア州出身の男の子が、筆者が変な顔をしていたので、「どうしたの?」と聞いてくれました。翌朝になると腫れて来たので、自分でも折ったことを自覚していたのです。
すると、それでは救急病院へ行かないとということになり、車を持っている友達に電話をかけ、マンションの入口の所で待っている様に手配してくれました。
車の準備は出来ましたが、大変なのはここからです。当時住んでいたのは、マンションの最上階(8階)だったのですが、エレベーターは工事中で使えませんでした。
すると、彼は筆者を前に抱きかかえながら嫌な顔一つせずに、一歩ずつ階段を降りてくれたのです。身長こそは185cm位ありましたが、 細身の男の子だったので、日本のマンションより1階分の幅が大きいイタリアのマンションの8階からはさぞかし大変だったと思います。さらにいけないことには、その時は今より体重が10キロ近く重かったので、日曜の朝からとんでもない苦痛を与えてしまいました。
病院に到着して順番を待っている間も、その男の子とお友達の男の子(車を出してくれた)がずっと冗談を言い続けて笑わせてくれたり、途中でバールに行って、クロワッサンや甘いタルトを買ってきて皆でイタリア式の甘い朝ごはんを病院の中庭でしたりしてとても面白かったことを覚えています。
イタリアに来て数ヶ月しか経っていませんでしたので、イタリア語が分かる人が病院に同伴してくれたのはとても心強い体験でした。
自宅で2ヶ月間篭城している間も、人々が入れ替わり立ち代り差し入れをしてくれたり、時には飽きてしまわないように自宅でパーティーを開いてくれたり、外に散歩に連れ出してくれたりと国籍を問わず、色々な人々に助けてもらいました。この時のパーティで知り合った人との交流は、10年以上経った今でも続いています。
もう一つ思い出しました。
ある日、ジェラート屋さんでジェラートを注文して食べていると、大雨が降って来ました。
雨は中々止まず、仕方ないのでこのまま家に帰ろうかなと思っていると、店長さんが奥から出てきて "君はどこに住んでいるの?"と尋ねて来ます。
その時は、とあるイタリア人家庭でホームスティをしていたので、"〇〇さんのお宅です。ここから歩いて10分位です。"と答えました。すると偶然だと思いますが、店長さんは〇〇家の人を知っている様でした。
そして何も言わずに、傘を差して家まで送ってくれたのです。家に着くまでの10分間は特に会話はありませんでしたが、困っている人を助けてあげたいと思う純粋な気持ちで送って下さったのだと思います。(申し訳なかったのは、営業時間内なのにご丁寧に店を閉めましたので、きっとお客さんは30分位、待ちぼうけを食らったと思います!)
例えば、スーパーマーケットで買い物をしていると、商品棚にあった商品が床に落ちているとします。
この時、落ちてるものを無視して通るか、商品を元の棚に戻しておくかという選択があると思います。
商品を元の位置に戻しておくという行為は、小さいけれど立派な愛だと思うのです。
ある日、スーパーの青果品のコーナーでみかんがぼたぼたっと2~3個、通路の真ん中に落ちていました。
イタリアはバラ売りですので、みかんコーナーから落ちてしまったのかもしれません。その上を跨いで通る人もいれば、落ちていることすら気づかないで通過してしまう人もいます。筆者は、通るついでにみかんを元の位置に戻しておきました。
すると、すぐ後ろから目が見えない女性(視力がとても弱い様子)が歩いて来たのです。
その時に思ったのは、もしみかんを戻しておかなかったら、みかんに滑って転び、頭を打ち大変なことになっていたかもしれません。健常者にとって何でもないことは、全ての人にとっても何でもないことではありません。
このご老人が無事に通過して、"あ~拾っておいて本当に良かった。"と思うと共に、とても満たされた気持ちになりました。
マンションの大家さん(イタリア人女性)は85歳と高齢です。息子さんとは別に暮らしています。
冬場は各部屋の暖房がつきますが、たまに大家さんの家(部屋)の前を通る時に、隙間風がテラスの窓のサッシから入って来ると寒いだろうなぁと思い、不在中にあることをしていました。(こっそり)
それは、気温が落ちる夕方前にカーテンをひき、暖房で温まった暖かい空気を外に逃がさない様に、カーテンとカーテンを25cm位きっちり重ねて、洗濯ばさみで4~5箇所留めるのです。たったそれだけなのですが、お年寄りには寒さは堪えるだろうと思い、冬場は時々やりに行っていました。
ある時呼ばれて、真剣そうな顔付きで突然、言われました。
"あんたは将来、絶対道が開ける子だ。あなたは意識していないかもしれないが、徳を積んでいる。"
何の話をしているのかさっぱり分からなかったので、続けてくれるようにいうと、
"あなたは何もいわないけれど、私が寒く感じることのない様にとやってくれていることは知っている。細かい気遣いがとても嬉しい。寝る前に、あなたが付けてくれた洗濯ばさみを見ると、私は一人じゃないんだなって感じる。今まで本当にありがとう。" とほろほろと泣き出してしまいました。
見応えのある "愛" でなくとも、日常の中で小さな愛がたくさん散らばっています。
それはさりげなく心に入り込む、やさしい気持ちです。それに気づくか気づかないかは、実は私達次第なのかもしれません。
11月お題"あったかエピソード"