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今日は、貴重なローマ時代(350年近く)の精巧なモザイクが天井にびっしり残る、サンタ・コスタンツァの廟をご紹介したいと思います。モザイクの中では、"ぶどう狩り⇒ぶどう酒(ワイン)を作るシーン" がかわいいので有名です。
↑ こちらの建物です。サンタ・コスタンツァの廟(Mausoleo di Santa Costanza)といいます。
コスタンツァは、ローマ帝国皇帝で初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス1世(在位:306-337)の娘さんです。皇帝が娘さんにせがまれて作った娘さん用のお墓(廟)です。
↑ 平面図です。入口の1番から入ります。
3番のぐるりと周る天井部分に、このローマ時代のモザイクがびっしりと残っています。
コスタンツァさん自身が亡くなったのは354年と記録で分かっているので、廟は354年前には完成したのでしょう。(お父さんは337年没)
↑ オランダ人の画家、フランシスコさんがローマを訪れた時にスケッチした絵が残っています。彼は絵日記をたくさん残しているので、失われたものを確認するのには今となっては貴重な資料です。1538~1539年に廟を訪れた時、モザイクに感動したのでしょう(と思います)、その時のスケッチです。
1500年代の終わりから1600年初頭にかけて、サンタ・コスタンツァの廟はオランダ人アーティストのたまり場(?)となってしまい、廟の中央(絵中央部分)に置かれていた大理石製のコスタンツァさんの棺をテーブル替わりに、夜な夜な酒盛りを繰り広げていたようです。というのも、彼らはぶどう収穫のシーンを見て、この施設は酒の神バッカスに捧げられていると勘違いしていたのです。この酒の神はどんちゃん騒ぎが大好きなので、神様をお奉りする為には、どんちゃん騒ぎ必須でしょう。今の時代なら器物損壊で逮捕といったところでしょうが・・・。
この棺は現在、ヴァティカン博物館できちんと守られています。高さ2.3メートルもある素晴らしい大きな棺で、見学できます。(ご興味がある方はコスタンツァさんの棺)
↑ 入口です。入ってすぐ左側の壁に、モザイクをライトアップする機械があります。
ライトアップには、最低40セントの投入が必要で、40セントで3分程度、ライトアップできました。コインは10セントコイン、20セント、50セント、1ユーロコイン、2ユーロコインの受付けができると記載されていましたので、小銭をお持ちになると良いでしょう。
↑ それでは入ってみます。内部には、筆者しかいませんでした。天井のモザイクは、びっくりする程、精巧に作られています。
↑ 遠目では絵の様にしか見えませんが、目の細かいモザイクで出来ています。
↑ 小さな天使や、お花、果物、鳥などの動物がモザイクで作られています。
↑ この中央のパネルにある、ぶどう狩り⇒ぶどう酒作りのシーンが良く知られています。コスタンツァさんはこの主題を自分の棺の模様にも選びました。ぶどうをつぶすシーンです。棺のデコレーション
このぶどう収穫のシーンというのはローマ時代のドムス(domus ラテン語で家屋)の内部のデコレーションなどに良く使われています。(他には共同墓地のカタコンベなども)
多くの場合、ぶどう収穫ですので "秋" や "10月(頃)" を表現したい時の装飾に使う、俳句でいう季語のようなものです。
ところが、ここではぶどう収穫のシーンが装飾されている廟はお墓です!これは何なのでしょうか?
季節を表すなら、コスタンツァさんのお誕生日は10月なのでしょうか?それとも10月に死亡?
いえいえ、ここはプライベートなお墓なので、アレゴリー(寓意)的な解釈の仕方が妥当でしょう。ぶどう収穫のシーン⇒ぶどうをつぶす⇒ぶどう酒となる ということで、真っ赤なワインはイエス・キリストの血を意味しているのです。キリストが流した血、犠牲の為の血です。棺などの装飾にはキリストの犠牲(死亡)というテーマはふさわしいともいえます。キリストは人類を救済する為に十字架に架けられますが、再生(復活)します。よって、"ぶどう収穫のシーン" は "復活" をも意味しています。
↑ 孔雀もいます。
↑ これらのパネルの中央に描かれているのは、コスタンツァさん本人と、その夫ではないかといわれています。文献には、どこにもその記述は出てきませんでしたので推測です。
↑ 上部では、男性達がぶどうの収穫を行っています。その下では、牛車に収穫したぶどうを乗せてやって来ました。この時代は牛を使っていたのでしょうか?かわいい牛です。右側ではぶどうを足でこねこねしています。良く見ると、ぶどうをつぶす担当の人達は、ふんどし(?)のような服装で手にはステッキを持っています。
また、牛車の足元部分には影まできちんとつけられています。古代のモザイク職人さんもまたプロフェッショナルだったのですね!
↑ クーポラ。この部分は、コスタンツァさんの時代の昔の装飾は全く残っていませんが、おそらく美しい色大理石で(当時は目玉が飛び出るほど高価なものでしたが、お父さんが皇帝なので懐に余裕があります)旧約、新約聖書のストーリーが装飾されていたと推測されます。
この4世紀の装飾を壊したのは、あのローマでは "破壊屋" として名が広く知られている、ウルバヌス8世(在位:1623-1644 ローマ法王)で、クーポラ部分も彼の好きなフレスコ画に変えてしまいました。ウルバヌス8世は、市内あちこちで遺跡等の破壊行為を繰り返しましたので、今日まで、風刺となって語り継がれています。(もちろん、よりローマを美しくと、良かれと思ってやったことです)
↑ ニッチの部分にも美しいモザイクが残っています!(パターンが2種類あります)
インフォメーション:
名称 Mausoleo di Santa Costanza (コスタンツァの廟)
住所 Via Nomentana, 349
行き方 テルミニ駅から急行の90番のバスで約10分。8つ目のNomentana/Sant'Agnese で下車し徒歩で50メートル。90番は約8分に1本あります。
オープン時間 9時から12時、16時から18時まで。
休日 日曜と祝日の午前中。
入場料金 入場無料
* サンタ・コスタンツァの廟は、ローマ時代は今は無きサンタニェーゼ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂と拝廊で繋がっていました。現在は、少し離れて隣に7世紀に建て直されたサンタニェーゼ・フォーリ・レ・ムーラ教会があります。併せて、教会内部とカタコンベ(ガイド付き お一人様8ユーロ)の見学はお奨めです。