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ラファエロのフレスコ画 “巫女” が残るサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会。

阿部 美寿穂

阿部 美寿穂

イタリア特派員

更新日
2014年7月12日
公開日
2014年7月12日
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今日は小さくて目立たないけれど、時間があえば(理由は後述)是非とも立ち寄ってみて欲しい、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会(Santa Maria della Pace)をお届けしたいと思います!

"時間があえば" と冒頭で書いたのは、この教会は月曜日、水曜日、土曜日の週3日しかオープンしていないということです。しかも午前9時~11時50分までのみ!

数年前まではそれでも週4日オープンしていたのですが、1日減り、ちょっぴりアクセスが難しくなってしまいました。

それだけに訪れる価値はありだと思っています。

↑ 半円形になっているファサードは、1656年にピエトロ・ダ・コルトーナによって建てられました。真っ白で小さくてかわいい入口は見落としてしまうかも。

↑ 内部も小さい。

↑ 祭壇にあるこの聖母子の絵は石を投げつけられた時、血を流したと言われる絵です。

それを聞いた当時のローマ法王シクストゥス4世はこの聖母子の絵を "平和の聖母子" と名付け、1482年に現在の教会に新しく建て直しました。

↑ この教会の見所はずばりコレなのです。

ラファエロのフレスコ画、"巫女"が、入口を入ってすぐ右側のキージ家の礼拝堂のアーチ部分に残っているのです!1514年に銀行家アゴスティーノ・キージの為に描きました。経済的に余裕がないと、ラファエロの様な有名画家さんに家の礼拝堂の装飾をお願いできないですものね・・・。

↑ 中央で頬杖をつくのは、ラファエロらしいプリプリした優雅な天使。微妙なアメジスト色のグラデーションの羽が素敵。

↑ ラファエロと言えば無類の女好きで、それがもとで病気(性病云々)にかかり命を落としたのではと、業界ではまことしやかに囁かれていますが、37歳と早過ぎる死でなければ晩年までにどれくらいの作品を残していたのでしょうか。ちょっとあの人惜しかったねぇ と言われながら亡くなるくらいがちょうど良いのだろうか・・・。

↑ こちらはキージ礼拝堂の真正面にあるポンツェッリ礼拝堂(1516年頃完成)。

↑ キージ礼拝堂の隣のチェージ礼拝堂。彫刻がリアルで素晴らしいですね~。根気のいる作業です。

↑ 礼拝堂の中にあるものは、通常はお墓です。お墓の上には故人がいます。こちらは和やかなお顔のチェージ家の当主の奥さんです。

内部を見学した後に、教会左側にある小さな入口から中に入ると、建築家ブラマンテが設計した美しいキオストロ(回廊)を訪れることが出来ます。

イタリアでは芸術品が一般人が簡単に手の届くところにゴロゴロと残っています。

もし観光の途中に教会を見かけて、入口のドアが開いていたらそっと中に入ってみて下さい。しばしば外観からは想像も出来ない様な美しい教会に出会うことがあるのです!

インフォメーション:

住所 Via Arco della Pace, 5 ナヴォーナ広場から徒歩2分。

オープン時間 月曜、水曜、土曜日の午前9時~11時50分まで。入場は無料。

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