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ローマはどんなところ?ちょっとだけ小話。

阿部 美寿穂

阿部 美寿穂

イタリア特派員

更新日
2013年6月29日
公開日
2013年6月29日
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今日は、ローマの守護聖人の日です。

皆さん、ローマはどのような街だと思いますか?

イタリアの首都?

全ての道はローマに通ず?

ローマ帝国、そして西洋文明の故郷?

永遠の都?

ローマ字? などなど

ローマの地下は何層にも>なってできていて、一番上に今日の地表部分があります。

今、筆者が立っている地面のずっとずっと下にも大昔のアパートや民家がそのまま残っていると思います。

この街には地下鉄はA線とB線の2本しかありません。少し掘ると遺構にぶつかってしまい、掘りたくてもそう簡単には掘れないのです。考古学的に重要なものにぶち当たると、30cm前へ進むだけでも何年もかかることもあります。

先日、ローマ大学でとある教会の地下へ入りました。

教会のほぼ真下にあたる部分へ、暗闇の中、どんどん階段を下りていきます。菌類が飛んでいるので髪をまとめます。教会の下に、実はもう一つ二つ前の時代の教会や民家があったり、またその基礎部分を利用して建てたりしていることは珍しくはありません。

この教会は一番上の部分(現在私達が出たり入ったりして利用している教会)が5世紀前半の建造のものであり、わりと古い時代のものなので、もっと下に降りて行くと、その地中部分にはいったい何が眠っているのか興味がありました。

教会の地下に降りてすぐに出会う層は民家でした。裕福だったらしく、自宅の入浴施設に水をひく為でしょう、石の壁を丁寧に防水加工して貯水室にしています。私達は4室も同じような防水加工の部屋を目にすることができました。教会ができる少し前の時代のものです。

実はこの裕福な民家のベース部分となっていた、もっと古い時代の民家がありました。紀元前1世紀~後1世紀の間のものと思われ、壁を装飾していた絵がところどころ残っていて、床の大理石もそのままです。どんな人がどんな思いで住んでいたのでしょう。

この民家の中に、紀元前6世紀にローマの町を取り囲んでいた防御用の壁の一区間のオリジナルが残っていました。このお宅は、この城壁を再利用して自分の家の頑強な壁にしてありました!

街が大きくなるとこの壁は使用されず捨てられていきます。それを利用したのでしょう。この民家に取り込まれたおかげで誰にも破壊されることなく、ひっそりと今まで残ってきたともいえます。

今日はローマの守護聖人のお祭りだったので、歴史に思いをはせ、ちょっとだけ小話でした。

これからも、なるほどねぇ~と思ってもらえる少々マニアックな情報もお届けできればと思っています。

ローマの街中を歩くと、突然巨大な足が現れたりします。ローマ帝国は異文化(異宗教)にも非常に寛容でした。

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