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エバンストン歴史博物館・Evanston,WY

ホップキンズ 江美

ホップキンズ 江美

アメリカ・アリゾナ州特派員

更新日
2017年12月12日
公開日
2017年12月12日
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ユタ州の隣、ワイオミング州エバンストンは、炭鉱と石油採掘で栄えた街です。

炭鉱も石油採掘事業も廃坑になりましたが、近郊には牧場も多く、西部開拓時代の街並みを色濃く残す、カウボーイの街です。(ソルトレイクからは、車で1時間30分)

エバンストンにある「Uinta County Museum」で、町の歴史を知ることができます。

開拓当時の写真からこの地に住んでいた先住民族ネイティブアメリカンとの闘争はなかったようです。

1880年代に作られた、日めくりカレンダーは、この町にあるお店に置かれていたのもので、1975年まで使用されていました。お客さんが書いたサインやいたずら書きが残されており、時代を感じます。

開拓当時のお店を再現しています。当時の雰囲気がよくわかります。

博物館の横にはChines Joss Houseと名付けられた建物が併設されています。

普段は公開されていないのですが、今回特別に案内してくれました。

エバンストンには開拓当時、中国からやってきた人たちがいます。

1800年後半から1900年代前半、200名ほどの中国人がこの地にやって来て、中華タウンを形成していました。当時の町を復元した模型で説明してくれるジェネスさん。鉄道レール作業員として従事し、こつこつとお金を貯め、土地を購入し、畑を耕し野菜を栽培。西部の荒地での野菜作りは難しく苦労しましたが、収穫されたものは高く売ることができました。

チャイナタウンには、当時「China Mary」 と皆に呼ばれていた女性が住んでいました。彼女の本名は「Ah Yuen」。1910年、エバンストンに彼女が来た時の年齢は57才です。彼女が来た当時エバンストンには、41人の中国人しかいませんでした。彼女はこの荒れた西部の地で農業を始めます。正式な記録は残っていませんが、中国の極貧家庭に生まれた彼女は13才の時、両親に売られてアメリカに渡ってきました。サンフランシスコ・パークシティなどの町に住んでいましたが、3度目の結婚を機にここへ移住した彼女。ここへ来るまでにもかなりの苦労をしたようです。

60年間、彼女はエバンストンで暮らしました。外国から来た彼女の出生記録は曖昧ですが、100才以上の高齢まで生存していたのは間違いないようです。アメリカ西部を愛していた彼女は弱者の味方もしたようで、アウトローたちに食料の提供もしていたようです。貧しい家庭に生まれた彼女自身の境遇がアウトローたちへの慈しみを生んだのかもしれません。

博物館の裏手には、当時倉庫として使用していた建物が今も残されています。

博物館の庭園は、この街に住んでいた中国人の子孫(サンフランシスコ在住建築家)が設計したもので彼の寄付によって現在も工事が進行中です。

小さな町の歴史博物は無料で公開されています。親切に説明してくれる案内ツアーもありますので、西部の歴史を是非のぞいてみてください。

Uinta County Museum

1020 Front St.

Evanston, WY 82930

Ph: (307) 789-8248

Toll Free: (888) 989-8248

Hours 9:00 AM – 5:00 PM

Monday – Friday

10:00 AM – 4:00 PM

Saturday

http://www.uintacounty.com/28/Uinta-County-Museum

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