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渡来人文化が息づく湖東の寺
滋賀の湖東地域は、古代朝鮮半島とのつながりが色濃く残っています。
新羅との戦いに敗れ滅亡した百済は復権を目指しましたが、日本からの援軍を得て戦った白村江の戦(教科書に出てくるやつです)で大敗を喫しました。その後700名を超える百済の人々が日本に亡命。この地に移り住んだということです。
ストレートなネーミングでは湖東三山のひとつ「百済寺」が有名でしょう。
さて、今回訪れたのはそんな渡来人の魂が息づく寺院「石塔寺」です。
名前の通り石塔の寺です。
蒲生野の小高い丘にひっそりとその寺はありました。「下馬」の大きな文字が印象的。
早速、小さな石仏たちが参道の脇で出迎えてくれます。その先には長い石段が…。
参道の右手すぐに本堂があります。お寺の名前には「阿育王山(アショカオウザン)」と書かれています。アショカ王とはインドの王様で、最初はとてつもなく残虐な王様だったのだけれども、改心し仏教徒になったあとは、世界中に仏教を広める努力をしたと言われます。百済ではなくインドと関係がある?実はこの秘密は後でわかります。
石塔寺の阿育王塔
158段(くらいある)の石段を登ると…
おびただしい数の五輪塔と、その中心にどこか日本的ではない朝鮮半島にありそうな形の、大きな石塔のある景色が現れました。
この大きな石塔が「阿育王塔」と言い、寺の縁起ではアショカ王が仏教に深く帰依した後、八万四千の塔を作り、世界中に撒いたそうです。その一つがこの地に飛来し、後の世に比叡山のお坊様が掘り出したのがこの寺の始まりだそうです。アショカ王との繋がりはこんな伝説からだったです。
にしても、インドっぽくは全くありませんけど…。
司馬遼太郎は日本人はどこから来たのかという問いについて、近江の地に答えをさがすような文章をいくつか書いています。その著書の一つ「歴史を紀行する」の中で、石塔寺を訪れた時の様子を「最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては私は生涯わすれることができないだろう」と書いています。
石塔群の場所から約400mほどの小径があり、八十八か所の石仏が並んでいます。
たくさんの石仏や石塔は、特に鎌倉時代以降に多くの人々からこの寺に寄進されて出来上がったもののようで、約1万基もあるとのこと。
「阿育王塔」。古代の百済から渡来した人々は故郷から遠く離れた近江の地にこの塔を建て、故郷を偲んだのかもしれませんね。
歴史的にはかつて日本と朝鮮半島は深く繋がりながら文化を発展させてきたのだと考えると、現在は政治的にはすっかり不仲になっている日本と韓国ですが、早く友好を取り戻してほしいものです。
【阿育王山・石塔寺】
〇場所:滋賀県東近江市石塔町860
〇TEL:0748-55-01213
〇アクセス:
近江鉄道「桜川駅」下車 湖国バス中之郷行き乗り換え石塔口から徒歩で15分
JR近江八幡駅からバスで40分(近江バス日野行き)