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ローマの町に聳え立つ聖天使城で新型コロナの終焉を願う

田澤 龍太郎

田澤 龍太郎

イタリア特派員

更新日
2021年3月7日
公開日
2021年3月7日
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このローマ2特派員ブログを読んでいただいている皆さん、ご無沙汰しております。しばらく地球の歩き方特派員ブログの更新を怠っておりましたが、2021年の春の訪れとともに今年こそ、大流行中の新型コロナウイルスが少しでも落ち着くことを願って、このブログも少しずつ再開したいと思います。いまだに移動制限があるこの時世で、今回、取り上げさせていただくのは、この永遠の都を訪れる旅行者なら広く知られている観光施設のひとつ、サンタンジェロ城(伊語:Castel Sant'angelo/別名:聖天使城)です。

この城を中心とした界隈は、永遠の都を流れるテヴェレ川とマッチした城の姿をのぞかせてくれるだけではなく、うっとりするようなライトアップが輝きを増すことで、もっともロマンチックな場所として地元ローマ人の間でもよく知られております。しかしながらその城もまた、一般的に知られているような単なる城という役割に留まらない1900年以上の悠久の歴史を誇ります。

サンタンジェロ城の歴史は、ローマ帝国の第14代皇帝ハドリアヌスから始まります。彼はローマ帝国の歴史の中では、五賢帝のひとりとしても知られ、彼が治めていた時代においても国内外でもすばらしい業績を残しています。そんな彼が自分自身の霊廟として135年にこの建設を開始し、4年後の139年に完成したとされています。完成当時の霊廟は、見事な円形平面に太陽を象徴したハドリアヌス帝が戦車を引く像が城の頂上に施されていました。その後、時代が流れると歴代ローマ教皇によって要塞として強化してきたことから次第に軍事施設という役割を変えていきます。それと同時に牢獄や避難所として使用されるようになったとされます。また、現在の名称の「サンタンジェロ城」は、その後の時代になってからとされています。

このサンタンジェロ城には、残酷で悲惨な歴史も同居しています。監獄として使用されていた時代では、この城の目の前にある橋を囚人が渡り、反対側の道路で死刑になったという記録が残されています。

また、教皇のお膝元のヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂(伊語:Basilica di San Pietro in Vaticano)から約700mという場所にあるこのサンタンジェロ城は、サン・ピエトロ大聖堂と城壁上の通路(伊語:Passetto di Borgo)でつながれていることからかつては避難所として使用されたことがわかります。

そして、509年頃、ローマでペスト(別名:黒死病)が大流行していた時期、当時の教皇のグレゴリウス一世が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行は終焉するだろうと解釈したことから現在も親しまれている「サンタンジェロ城」として知られるようになります。

16世紀頃には大理石の天使の像が城の頂上に施され、1753年には青銅製の天使の像が設置されました。

このように霊廟として始まったこのサンタンジェロ城は、軍事施設、そして牢獄、さらにペスト大流行で深刻な被害を受けたローマの町を救うシンボルとなり、いまは博物館として世界中の観光客が訪れる場所となっていますが、ひとつの建物でこれだけ目まぐるしく役割を変えていくのは、ローマの町に眠るまさに貴重な歴史建造物のひとつとも言えます。

特にこのサンタンジェロ城の周辺は、昼と夜の顔がまったく異なるので、それぞれの時間帯にゆっくりと散策するととても優雅な時間を堪能できます。そんな日が少しでも早く訪れるようにローマ2特派員は、当時、もっとも恐れられていたペストの流行を落ち着かせてくれたようにこの新型コロナウイルスの流行も落ち着かせてくれるようにとサンタンジェロ城の聖天使たちにただ祈るばかりです。

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