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琵琶湖の水が少なくなっている……。こんにちは、フナズシマルです。
全国ニュースでも報道されているからご存じの方も多いとは思いますが、滋賀県ではこの秋、たいへん雨の少ない状況が続いており、2021年11月下旬あたりには基準の水位からマイナス70cm弱まで減ってしまいました。
現在はマイナス57cmまで回復はしていますが、それでもまだまだ少ないです。
平成6年にはマイナス1230cmまで減ってしまった記録はありますが、現在の記録も14年ぶりの低下なのです。過去の例からも、これ以上減るようであれば取水制限が行われる可能性もあり、たいへん気がかりな状況が続いているのが現在の滋賀県なのです。
しかし、悪いことばかりではありません。
水位が大きく低下したことで、普段は水中に隠れて見えていなかったものが見えるようになったのです。
それが、「明智光秀の坂本城石垣跡」です。
今回はそんな貴重な遺構が見られるチャンスとして、取材してまいりました。
石垣遺構の近くには「坂本城址公園」がありますが、現在はこちらの駐車場は封鎖されております。行かれる場合は京阪電車石山線「松ノ馬場」駅から歩いていかれるか、1kmほど離れた湖岸緑地公園下阪本から歩いていかれることをおすすめします。(決して付近のお店に無断駐車したり、路上駐車しないようにいしてください)
私は湖岸緑地公園の駐車場から歩いていきました。
駐車場からは湖岸を散歩できる遊歩道が少しだけあります。日吉大社の祭礼である山王祭で船渡御が行われる山王鳥居がありますよ。
少し車道の端を歩くところもありますが、しばらく行くと坂本城址公園に着きます。
公園には坂本城主・明智光秀の像が待ち構えています。
石垣の場所は民家や企業の私有地の裏手にあります。私有地には絶対に入らないように。
一度公園から外に出て、100mほど北へと進みます。
車道から写真の看板のところを右手に入っていきます。人ひとり分くらいの細道となります。また横は畑なのでこちらも入らないように気をつけてくださいね。
すぐにヨシが生えた湖岸にたどり着きます。このヨシの間に道があるので、それを抜けると……
規制線のはられた物々しい場所が現れました。11月よりも10cmほど水位があがったので少し水に浸かっていますが、それでもまだはっきりと姿を現しています。私も初めてその姿を目にすることができました。
本当にこの場所に、光秀の城があったのですね。まさに現代まで残るその歴史的な証拠です。
織田信長は尾張から京へ上るにあたり、多くの街道や琵琶湖の水運を要する近江の地を、戦略上の重要地として制覇しました。秀吉の長浜城、織田信澄の大溝城、光秀の坂本城、そして自身の安土城と、びわこの周囲を囲むように自軍の城を配置したのです。どれもが琵琶湖に面した水城ということで、信長がいかに琵琶湖を抑えることを重視していたかがわかります。
特にこの坂本城は重要視し、安土城に勝るとも劣らない、大天守と小天守を備えた大きな城であったと伝わります。それは当時の近江で最も力をもっていたのは、比叡山だったからです。比叡山とは延暦寺のことを指します。つまり延暦寺の勢力が近江と京都に睨みをきかせる形で、周辺の物流や経済を押さえていたのです。信長はこの勢力にたいし、自分たちの力を見せつける形で坂本城を築いたのでしょう。
本能寺の変のあと、城は跡形もなくなってしまいました。
そのような誰もが知っている戦国時代の壮大な歴史絵巻を、実際にあったのだと感じることができるのがこの場所です。普段は琵琶湖に隠れているところが滋賀県らしいと思います。
できれば、静かに見学していただき、また次に出会える日までそっと琵琶湖に守っておいてほしいものです。