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今から約1200年前の806年、最澄によって比叡山に開かれた天台宗。
天台宗の総本山は、天台宗総本山「比叡山延暦寺」、天台寺門宗総本山「三井寺(園城寺)」、天台真盛宗総本山「西教寺」と、宗派は3つに分かれているものの、いずれも滋賀県大津市にあります。
この天台宗のトップにあたるのが、「天台座主」というお方。
かつて歴代の天台座主が住んだ、天皇でいうところの皇居のような場所が、今回紹介する「滋賀院門跡」です。
京阪の坂本比叡山口駅から徒歩5分程度。およそ500mほどのところにあり、周囲には日吉大社や旧竹林院などがあり、坂本観光の中心的場所にあります。このあたりは中世以降、城や寺社の石垣などで全国的な活躍をした石積み技術集団「穴太衆」による石積みの町並みが多く残ります。
中でも滋賀院門跡は一段と高い石積みに白壁が合わせられ、格式の高さが感じられるものとなっています。
高貴な方のお住いということで、別名・滋賀院御殿とも呼ばれたようなのですが、現在の滋賀院には華美な雰囲気はなく、むしろ質素な雰囲気すらある寺です。
この寺は後に「黒衣の宰相」とも呼ばれ、徳川家康の天下統一を側近として支えた南光坊天海が、後陽成天皇より京の法勝寺を賜って建立したもの。
入口を入ってすぐのところに鎧兜が飾られていましたが、これがその天海のものだそうです。
えっ?って思いません? お坊さんだった天海にもこんな立派な鎧兜があったのですね。もうこの雰囲気は相当なランクの武将そのものです。
天海と言えば、明智光秀が実は生きてお坊さんになって家康に仕えたという俗説があります。その後、天海は日光東照宮を家康のためにつくったのですが、東照宮から中禅寺湖へと向かういろは坂のあるあたりを明智平と呼ぶのですが、これを名づけたのが天海だったと言います。
そんなエピソードから光秀=天海説がまことしやかに語られたりもしていますが、この鎧兜をみていると思わずそんなこともあるのかな?なんて思ったりしますね。
建物の中には、狩野派の襖絵や、
実際に天台座主が乗ったと言われる駕籠。
織田信長や徳川10代将軍家治から送られたと伝わる大鏧子(だいけいす)なども展示されています。
そして、滋賀院といえば小堀遠州作と伝わる庭園がすばらしいです。
庭園の中には鶴と亀が石組みで表現されているのですが、一見しただけではわかりません。よーく見ると……
これは来てみてのお楽しみということで。
最後にこの部屋は、天台座主の謁見の間です。
一段高い畳が配され、サイドに置かれた金色の屏風から反射する金色の光によってより高貴な雰囲気を演出するようになっているようです。
実はここにも明智光秀をイメージするものが……。
ということで、ちょっとミステリー漂う滋賀院門跡の紹介でした。
今回は入場の際に室内の撮影を承認いただいて掲載させていただくことができております。
天海大僧正の足跡を訪ねてみる、なんて旅もおもしろそうですね。
■滋賀院門跡
・住所: 大津市坂本4丁目6-1
・電話: 077-578-0130
・営業: 9:00〜16:00
・拝観料: 大人500円