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魅力いっぱいの瀬田川界隈①…俵藤太の伝説

フナズシマル

フナズシマル

滋賀特派員

更新日
2022年5月28日
公開日
2022年5月28日
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こんにちは! 滋賀特派員のフナズシマルです。

前回4月のレポートに続いて今回も瀬田川界隈。

最近すっかりこのエリアにハマっています。なんといっても自転車で瀬田川の水辺を間近に感じながら走れる遊歩道と、その周辺に広がる自然の美しさ。ゆったりと自転車を漕げば、心が癒やされるんです。

それと、探せば探すほど見えてくる周辺の楽しい場所。

何回来てもいろんな発見があるので飽きません。

そんな私の最近のお気に入りスポットを数回にわけて紹介したいと思います。

瀬田唐橋

瀬田唐橋 撮影:Funazushi-maru

サイクリングのスタートは日本三名橋のひとつ(諸説あり)「瀬田唐橋」。

歴史上の舞台に何度も登場し、全国制覇を目論むものにとっては軍事上の最重要ポイントとなった場所。

一説には西暦200年頃にはすでに橋がかけられていたということもあり、日本三大古橋にも数えられています。

ビワイチ出発の碑 撮影:Funazushi-maru

現在の瀬田唐橋の袂には「ビワイチ(琵琶湖を一周するサイクリングのこと)出発の地」の碑とモニュメントが設置されており、国が指定するナショナルサイクルルート・ビワイチの起終点となっています。

こちらでは「瀬田川観光遊覧船」による遊覧船なども運行されており、自転車+アルファな遊び方もできそうです。

龍王宮秀郷社

橋のすぐ近くにちょっと興味深い社がありました。

龍王宮秀郷社 撮影:Funazushi-maru

龍王宮秀郷社という神社です。

龍王とか龍神様というと何かと水や水害にまつわる場所に祀られていることが多いですが、瀬田川の袂だけにもちろんこちらも水との関わりが深い場所です。

はて、龍王のあとにつづく秀郷とは……?。

瀬田唐橋の東詰に写真のような案内板が設置されており、この橋にまつわる伝説についてのイラストが描かれています。右どなりには、橋を舞台とした数々の戦の歴史についての説明がありました。

どうやらこの橋には俵藤太の百足退治という伝説が残されているようですね。

俵藤太というのは、平安中期の武人・藤原秀郷のこと。

唐橋に住む白蛇が姿を変えた老人(龍宮の乙姫の説もあり)の願いで、三上山(滋賀県野洲市)を7巻きもする巨大なムカデを大きな弓矢で成敗したというお話。

龍王宮秀郷社に行くともう少し詳しい説明がありました(こちらは秀郷の隣にいるのはお姫様のようですね……)。

要するに大百足(ムカデ)は当時関東方面を席捲していた平将門の軍を指しているそうで、「平将門の乱」として学校で習ったことがあるかと思いますが(覚えているかな?)、将門は自らを「新皇」と称し京の朝廷に反旗をひるがえしたと言われています。

それを鎮めたのが朝廷側から討伐を任された藤原秀郷ということで、その話が百足退治の伝説として唐橋に残っているのです。

ちなみに似たような話が実は日光の戦場ヶ原にもある模様。

朝廷で権力争いに負けて都を離れる皇族や貴族も当時は多くいたと思いますし、そういった方々が全国に散らばりながらも、虎視眈々と中央政権を狙う図というのがあったのでしょうね。

現在放映中の大河でも描かれていますが、戦いの裏で糸を引いて武人を焚きつけているのも京の朝廷や皇族だったりするので、おそらくそういった戦いの勝者が美談としてつくり出した伝説のひとつなんだろうなと思います。

歴史は勝者によってつくられるのです。

雲住寺 百足供養塔 撮影:Funazushi-maru

龍王宮秀郷社の隣には「雲住寺」というお寺があります。

こちらの境内には百足の供養塔と虫塚が建てられています。

中央の祠には大百足ではなく小さな百足が祀られていますよ。

さて歴史はこのくらいにして、次は甘いものでも食べに行くとするか……。

【龍王宮秀郷社】

・住所: 滋賀県大津市瀬田2-1-8

・電話: 077-534-0706(石山駅観光案内所)

・アクセス: (電車)京阪唐橋前駅から徒歩約10分

フナズシマルがご案内する瀬田川沿いをゆっくり散策するガイド付きのサイクリングツアーでは、瀬田川周辺のスポットを実際にご案内いたしますよ(詳しくはこちら

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